月刊 未詳24
2010年9月第42号
2024年04月24日(水)15:44
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断片
サヨナラ
細い目で
積まれた隅の
座布団の
あいだ あいだに
冬挟め
作業が
寒さを
生むならば
朝は
あおむらさきがいい
山吹色の
みち踏んで
私はなにも
いらないけれど
ひとしきり
鳴いて尽きたる
蝉の背を
持って蟻らの
三途川
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かこのないひと
腰越広茂
いま
空は
無色透明の雨
宙を切って黙礼をする
中性の直線
― 今日はこれといってなにも無い日ね
黙りこくる空
青ざめる
― お花がきれいね
(いつでもいまである)
どくだみは縁の下に咲いて
この日をまっている
いつの日も
暮雲は帰らない
月の青さに
影は無機質に微笑むか
何者であっても
何者へも
暗く透けている影であろうか
いま
限りなく
下着が透けるほどぴったりと
はりついてしまっている衣服をきがえる
ぬれてしまい
欠伸をかみ殺す
耳鳴りが
鳴っているけれどなにが原因か
自分にもわからない。
どこかで星がうまれてはきえ
きえてはうまれ
水玉に映る
輪舞する影の
いま
空は
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遠透季
木立 悟
最初の雨の火に焼かれ
槍や矢の血の頬を娶い
色なき泡を
曇へ放ち
海を消す火
ひかり鳴る海
寄せる片目
まばたきの波
黒円が重なる
白濁が白濁を射抜く
うしろにまわる手
はばたいてもはばたいても浮かばぬ手
光の虚ろの蜜の上を
光のまだらをめあてに歩む
白や青やはらわたや無
洞のように響いている
黒い蝶 双つに分かれた
黒い蝶
紙の山から
飛びたちぬ
望まぬしるしを受けながら
望まれぬものを抱いている
花の陰をゆくつばさ
はざま結ぶ火のつばさ
雨の光が光ではなく
さらに透る何かとなり
雨を雨に置いてゆく
さらに遠く 置いてゆく
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そうして夜が更けて俺は考え込むのだ
ホロウ
そして夜が更けて俺は考え込むのだ、詩なんてものが俺をどこにも連れて行きはしないことに
それは痛みを鎮めるためのモルヒネと、ほとんどなんの変りもないことがあるのだと、そういうことについて
もちろん、それは言い方次第で…どこぞのアホみたいにポジティブな詩人の様に、「それは本当の一歩を踏み出すきっかけになるのだ」なんて、無責任な常套句を当てはめて誤魔化すことも出来る
だけど、たいていの人間は本当はそんなことでは納得したりしないから――本気でそんなことを信じて連ねている詩人たちが、詩人の価値を下げてきたのだ、そう間違いなく確実に
俺はさっきまでレッスルキングダム、というプレイステーション2のプロレスゲームにアツくなっていた、このゲームときたら適当な返し技で優劣が簡単にひっくり返ったりするから
納得のいかない負け方をすると納得のいく勝ち方をするまでどうしても続けてしまうのだ、気がつくと一時間半が経過していた、つまりは
つまりは長々と詩を書いてきたことなどそんなこととたいして違いはしないのではないのかと――いや、一言ことわっておきたい、詩、というものにそれほど大層な意味があるとは俺は考えていない、ポエジーが世界をひっくり返すことなどは――ありえない、と、俺は考えている
本気で詩を書くなんてことが許されるのは青二才のうちだけさ、俺はもっと違うもののために書いている…自己満足とはほんの少し違う自分のための作業さ、こういう言い方ってすごくポエティックだと俺は考えているんだけどな
それは例えばゲームの様なものかというと少し違って…それはゲームなんて名前で呼べるほどあっさりとしたものではなく、かと言って生きざまとか…そんな風に呼んだりしたらちょっと笑っちまうんだけれども
そうだな、あえてしっくりくるような言葉を探すとすれば――それはジャム・セッションがそのまま収録されたレコードのようなものなんだ、ピッチやキーなんかじゃない、その時の呼吸みたいなものがしっかりと刻まれた、なんてことないけど忘れられないフレーズが確かな温度を持って伝わってくるみたいな――しいて言えばそれはそういうようなものなんだよな
そもそもだ、詩なんてものはプロセスだけ見れば至極簡単なものだ、もしかいま俺がコンピューターを取り上げられたとしても――紙と鉛筆さえあればそれは作ることが出来る、五百円玉がひとつあれば準備は整うものなのさ
人が紙の上に、あるいはディスプレイの作業領域の中になにかを連ねるとき、それは絶対に自分の話以外ではあり得ない、そこにどんなこだわりが存在していたとしてもさ――それは自分という領域を抜け出したものでは決して、ない、多くの人間がそこについて勘違いをしている、まるでさ、そう、フォークダンスみたいにさ、決まった音楽にのって決まった振り付けを――みんなと、一緒になってさ
そういうことに躍起になってるやつらって詩を書くよりも切絵でもやってればいいのにと思うんだよな、形と結果が綺麗にそろって差し出せるもの、そんなものを
紙と鉛筆なんてもともと、吐き出すために使うものだ、そうだろ?誰にだってそういう覚えはあるはずさ、だけどマニュアルを生み出すことが大事なことみたいに考えるようになってしまって、そういうことを忘れてしまう…大人になってマニュアルのひとつも持ってないなんて恥ずかしいことだ、なんて、そんな風に考えちまうのかな――ほら、バーのカウンターでちょっと珍しい酒なんか飲みながら、切って貼ったような人生論語ってる連中みたいなのさ、そういうことって永遠に繰り返されるのかなって俺は思うね、人生半ば足らずで、誰にでもいくらでも語れる人生論、ってさ――「俺も大人になったんだ」って言葉になんとか説得力を持たせたくて、棒読みして見せるようなやつさ
本当に生きなければならない時間は山ほどある、俺はそれを壊したくないんだ、小さな小さな輪の中に治まって――ありきたりな言葉に頷いてるようなことは、俺、やりたくないんだよな、そうだぜ、それこそがゲームと呼ばれて然るべき類の事柄さ、だけど判るかい、どこのどんな社会でも、派閥とか、グループなんてそんな風に構成されているんだぜ…アウトサイダーが群れをなしてなめあってたりする世界…判るだろう、イデオロギーが先行しているところなんかで本当に美しいものなど生まれたりしないぜ
コップの中と水と、川を流れて海へ出ていく水が似て非なるものであるように、俺は書こうとしているんだ、言葉の意味なんか受け止めてもらっても仕方がない…それがどんなふうに流れているのか、それこそが重要な事柄だ、文章の起源はきっとそういうもののはずだぜ…書くという行為は無責任なものでなければいけない、無責任なものでなければ、本当に奥深いところまで引っ張り出すことなど決して出来ない、言葉が溢れ出てくるときに行間を開けてみようなんて思う馬鹿者に俺は断じてなりたくはない…俺は流れて見せたいだけなのだ、俺という人生の流れの、最もノリのいいどこかを無作為に差し出して並べたいだけなのだ…言葉の意味じゃない、判るな?本当に大事なことはそんなことではない、知れば、誰にでも出来ることを俺がやる必要などない
そうして夜が更けて俺は考え込むのだ、どこにも行けないことがなんだというのだ?本当の意味で、どこかに行くということはどういうことなのだ?痛み止めのモルヒネには何の価値もないか?痛みが消えたあとで人が考えることには何の価値もないのか?と
だからよ、もうそれがどんなものでもかまわないじゃないか、と。
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花束
丘 光平
降りやまない雨の道で
顧みることもなく振った手のひら
花束をもたない歳月を
ひとつにたばねようとして
ほどかれてゆく夜明けの手前で
空になった葡萄酒の
散りいそぐひとときの香と
切り紙のように舞う羽のおと
頬杖をつきながら
ながれてくる薄明を
遠く
ながれてゆく小舟で
寝返りを打つ幼い秋を
そっとだきあげようとして
棘のように刺すちいさな歌が
指さきをつたう朝
一輪の
薔薇の花は咲く
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