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凛々蝶は双熾をいつも苗字で呼ぶ。恋人同士なのにも関わらず、だ。双熾の方は名前で呼んでくれているのによそよそしいとは思っているが、名前で呼ぶタイミングを逸してしまったのだ。 「そ……御狐神君、コーヒーを飲むか?」 凛々蝶はソファから徐ろに立ち上がると、キッチンへと向かって歩きながら雑誌を読む双熾へとそう声をかけた。双熾はにっこりとすると、 「ありがとうございます。凛々蝶様が淹れて下さるコーヒーは特別に美味しいですからね、楽しみです」 そう答える。双熾にコーヒーを淹れてやるという約束を果たした後も二人で寛いでいる時にコーヒーを淹れるのは凛々蝶の役目となっていた。 「そ……御狐神君は世辞が上手いな」 凛々蝶は見る間に顔を真っ赤に染めると俯き、ぽそりと言う。 「お世辞などではございません、本心ですよ?時に凛々蝶様。先ほどから僕を呼ぶ際に『そ』と付けるのは何か意味がおありでしょうか?」 (き、気付かれた……!) 凛々蝶は双熾の言葉に思わず「しまった」という顔をする。凛々蝶が双熾を呼ぶ際に『そ』と付けているのは先日野ばらに言われた台詞が原因だった。 『凛々蝶ちゃん、御狐神と付き合って一年も経つのにまだ苗字で呼んでるの?』 それは凛々蝶にとって頭を殴られたような衝撃だった。凛々蝶にとって双熾は「御狐神君」であり、それ以外の名前で呼ぶなど考えた事などなかったからだ。 しかし、言われてみればその通りだ。百鬼夜行も阻止し、双熾と付き合って無事一年が経過した。未だに名前で呼んでいないのは不自然かもしれないーー。そんな訳で彼女は今、双熾を苗字ではなく名前で呼ぼうと頑張っているのだ。しかし、今まで苗字呼びだったものを名前呼びに切り替えるのは思った以上に恥ずかしく、中々呼べないでいるのだった。 「特に理由はない。気にするな」 勿論そんな理由を双熾へ素直に話せる訳もなく。凛々蝶は双熾の問いかけにそんな言葉を返すしか出来なかった。 「左様ですか?ふふ、凛々蝶様は嘘が苦手でいらっしゃいますね」 双熾は立ち上がって凛々蝶の側までくると彼女の体を後ろから抱き締め、耳元でそう言った。 「なっ……!」 目を見開き、言葉を詰まらせる凛々蝶。妖狐というのはこんなに勘が鋭いのだろうか? 「凛々蝶様、先程からそわそわしておいでですからすぐに分かりましたよ。嗚呼、嘘をお吐きになっているんだな、って」 じわじわと追い詰めてくる双熾。蜻蛉の言葉を借りるならば『何というドS』といった所だろうか。 「ねぇ、何を隠してらっしゃるのですか?」 僕には言えない事ですか?と寂しげに眉を垂れると双熾はその言動を忘れたかのように凛々蝶の剥き出しのうなじへと唇を押し付けた。 「そ……御狐神君!言う!言うから離してくれ……!」 耳まで赤くして懇願する凛々蝶。その姿が可愛くて表情を見たくて双熾はあっさりと戒めを解いた。凛々蝶の前に回り、その顔を覗き込むと凛々蝶は恥ずかしそうに理由を話し出す。 「雪小路さんから言われたんだ。君と付き合って一年も経つのにまだ苗字で呼んでるのかって」 「だから、そのっ……御狐神君を名前で呼ぼうと頑張ってみたんだ……けど」 難しくて、と呟いたその瞬間凛々蝶は視界が暗くなったのを意識した。それがキスされているからだと気付いたのは驚きに薄く開かれた唇の隙間から双熾の舌が入り込んでからだった。 「んっ……みけつ、かみく……」 角度を変える為に唇が離れた瞬間、名前を呼べば双熾はそれに「違います」と声を被せた。 「双熾、ですよ、凛々蝶様」 「んぅっ……そ、双熾……』 小さな声で名前を呼ばれると双熾は「嗚呼、凛々蝶様っ……」と呟いて唇へむしゃぶりつく。 何度してもキスというのは慣れない、どうしても恥ずかしいという気持ちが勝ってしまうのだ。 「凛々蝶様、光栄です貴女に名前を呼ばれるなんて」 何度か舌で口内を舐め回した後ほどようやく唇を解放すると双熾は嬉しそうに凛々蝶へ語りかける。しかし、凛々蝶は顔を両手で覆い隠したまま双熾の方を見上げる事が出来ずにいたが内心はひと仕事終えた気分でホッとしていた。シチュエーションが少々あれだが無事名前で呼ぶ事ができたのだ。素直に嬉しい。 「ねぇ、凛々蝶様、もう一度呼んで下さいませんか?」 双熾は凛々蝶の頬に触れるだけのキス落とすとそっとそう言った。凛々蝶は少しの間躊躇っていたものの、やがて顔を覆う両手を外すと双熾を見上げて蚊の鳴くような声で「双熾……」と呟く。 「はい、凛々蝶様」 その声ににっこりする双熾。を聞きながら凛々蝶は言いようのない幸せを覚えていた。百鬼夜行を阻止出来なかった自分達の分まで幸せになろうとぼんやり思う。<blockquote>凛々蝶は双熾をいつも苗字で呼ぶ。恋人同士なのにも関わらず、だ。双熾の方は名前で呼んでくれているのによそよそしいとは思っているが、名前で呼ぶタイミングを逸してしまったのだ。 「そ……御狐神君、コーヒーを飲むか?」 凛々蝶はソファから徐ろに立ち上がると、キッチンへと向かって歩きながら雑誌を読む双熾へとそう声をかけた。双熾はにっこりとすると、 「ありがとうございます。凛々蝶様が淹れて下さるコーヒーは特別に美味しいですからね、楽しみです」 そう答える。双熾にコーヒーを淹れてやるという約束を果たした後も二人で寛いでいる時にコーヒーを淹れるのは凛々蝶の役目となっていた。 「そ……御狐神君は世辞が上手いな」 凛々蝶は見る間に顔を真っ赤に染めると俯き、ぽそりと言う。 「お世辞などではございません、本心ですよ?時に凛々蝶様。先ほどから僕を呼ぶ際に『そ』と付けるのは何か意味がおありでしょうか?」 (き、気付かれた……!) 凛々蝶は双熾の言葉に思わず「しまった」という顔をする。凛々蝶が双熾を呼ぶ際に『そ』と付けているのは先日野ばらに言われた台詞が原因だった。 『凛々蝶ちゃん、御狐神と付き合って一年も経つのにまだ苗字で呼んでるの?』 それは凛々蝶にとって頭を殴られたような衝撃だった。凛々蝶にとって双熾は「御狐神君」であり、それ以外の名前で呼ぶなど考えた事などなかったからだ。 しかし、言われてみればその通りだ。百鬼夜行も阻止し、双熾と付き合って無事一年が経過した。未だに名前で呼んでいないのは不自然かもしれないーー。そんな訳で彼女は今、双熾を苗字ではなく名前で呼ぼうと頑張っているのだ。しかし、今まで苗字呼びだったものを名前呼びに切り替えるのは思った以上に恥ずかしく、中々呼べないでいるのだった。 「特に理由はない。気にするな」 勿論そんな理由を双熾へ素直に話せる訳もなく。凛々蝶は双熾の問いかけにそんな言葉を返すしか出来なかった。 「左様ですか?ふふ、凛々蝶様は嘘が苦手でいらっしゃいますね」 双熾は立ち上がって凛々蝶の側までくると彼女の体を後ろから抱き締め、耳元でそう言った。 「なっ……!」 目を見開き、言葉を詰まらせる凛々蝶。妖狐というのはこんなに勘が鋭いのだろうか? 「凛々蝶様、先程からそわそわしておいでですからすぐに分かりましたよ。嗚呼、嘘をお吐きになっているんだな、って」 じわじわと追い詰めてくる双熾。蜻蛉の言葉を借りるならば『何というドS』といった所だろうか。 「ねぇ、何を隠してらっしゃるのですか?」 僕には言えない事ですか?と寂しげに眉を垂れると双熾はその言動を忘れたかのように凛々蝶の剥き出しのうなじへと唇を押し付けた。 「そ……御狐神君!言う!言うから離してくれ……!」 耳まで赤くして懇願する凛々蝶。その姿が可愛くて表情を見たくて双熾はあっさりと戒めを解いた。凛々蝶の前に回り、その顔を覗き込むと凛々蝶は恥ずかしそうに理由を話し出す。 「雪小路さんから言われたんだ。君と付き合って一年も経つのにまだ苗字で呼んでるのかって」 「だから、そのっ……御狐神君を名前で呼ぼうと頑張ってみたんだ……けど」 難しくて、と呟いたその瞬間凛々蝶は視界が暗くなったのを意識した。それがキスされているからだと気付いたのは驚きに薄く開かれた唇の隙間から双熾の舌が入り込んでからだった。 「んっ……みけつ、かみく……」 角度を変える為に唇が離れた瞬間、名前を呼べば双熾はそれに「違います」と声を被せた。 「双熾、ですよ、凛々蝶様」 「んぅっ……そ、双熾……』 小さな声で名前を呼ばれると双熾は「嗚呼、凛々蝶様っ……」と呟いて唇へむしゃぶりつく。 何度してもキスというのは慣れない、どうしても恥ずかしいという気持ちが勝ってしまうのだ。 「凛々蝶様、光栄です貴女に名前を呼ばれるなんて」 何度か舌で口内を舐め回した後ほどようやく唇を解放すると双熾は嬉しそうに凛々蝶へ語りかける。しかし、凛々蝶は顔を両手で覆い隠したまま双熾の方を見上げる事が出来ずにいたが内心はひと仕事終えた気分でホッとしていた。シチュエーションが少々あれだが無事名前で呼ぶ事ができたのだ。素直に嬉しい。 「ねぇ、凛々蝶様、もう一度呼んで下さいませんか?」 双熾は凛々蝶の頬に触れるだけのキス落とすとそっとそう言った。凛々蝶は少しの間躊躇っていたものの、やがて顔を覆う両手を外すと双熾を見上げて蚊の鳴くような声で「双熾……」と呟く。 「はい、凛々蝶様」 その声ににっこりする双熾。 その声を聞きながら凛々蝶は言いようのない幸せを覚えていた。百鬼夜行を阻止出来なかった自分達の分まで幸せになろうとぼんやり思う。幸せになれるだろうか?いや、幸せにならなくてはならない。この双熾を失う未来などもう見たくないのだ。そう決意した凛々蝶の背中を押すようにカーテンの隙間から不意に西陽が差し始める。二人の未来は、酷く明るい。
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