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>>13 続きです。 第一次世界大戦は塹壕戦のイメージが強いと思いますが、当初は全くの機動戦でした。 ドイツは右翼を厚くして左翼(独仏国境)を薄くして敵を左翼に引き込み、右翼はベルギーを迂回して包囲殲滅する意図を持っていました。対してフランスは、敵左翼に全力をかけて大突破し敵の右翼と左翼を分断する作戦を立てていました。 ちなみに、右翼左翼というのは自軍から見て右か左かを言うので、両軍が正面に対峙した時には、自軍の右翼の正面は敵軍の左翼になります。 で、実際にどうなったかと言うと…。 シュリーフェンプランは当初大胆に右翼に戦力を集中していましたが、フランスが自軍の左翼の大突破を狙っていることを見抜いた参謀総長のモルトケは、右翼から戦力を引き抜き左翼に配置しました。したがって、原案では右翼がベルギー経由でパリを押さえることになっていましたが、モルトケの修正により右翼はより小さな迂回をすることになり、パリの占領よりも敵軍の殲滅を優先したものとなりました。とはいえ実際は、最右翼はパリの目前まで至ったのですが…。
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