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「無題(1)」たなか (優秀作品賞) 大胆なテーマ、召喚された語句の配置の妙、いや、なによりも不吉な想像力を喚起させられる、若い筆では到達出来ないであろう虚無世界が繚乱と広がる快作でしょう(作者たる、たなかさんが実際上お若いのかそうでないのか、私は存じませんけれども)。 作品世界、それがリアルであるかどうかには読み手の個人差があるかもしれませんが、予めリアリティー(なんだか恥ずかしい言葉です…)の獲得を第一義とした役割が与えられていないと思われる吟味のなされた言葉の常套ならざる連なりと、そこからどのような景色が浮かぶかは、読み手の想像力に準じるように作られていると感じます、ここが極めて巧くて、本作の肝ではないかとも思います。もとより何処に飛べるか、それは知識の蓄積などではなく、イマジネーションの領域の問題でしょうから。 故意に離されている語句と語句(意味と意味)を如何様に連結させるかによって、或いは、どの語句に主役を担わせるかによって、テキストの印象が随分と変わり得る柔らかさを備えた文学実験室のようでさえある。 例えば「ニガヨモギがどうした」なんていう文学的な奥ゆかしさ(詩文との相性はけして悪くはないけれども、結果、概して「つまらない」ことを多くの詩の読み手は既に学んでます)ではなく、敢えて俗な「原子炉」を選択しているのは、だから当為でもあり、さりとてOMDさながらに「チャイナ・シンドローム」と単純にアイロニーを謳う愚も犯していない、そうした一種の誠実さを伴った姿勢には共鳴しますね。 どちらかといえば私は「読めない」人ですけれども、それでもこの作品の「沈黙の叫び」ともいうべき声に耳を澄ませようとしてしまう。「会いたかったよ懐かしいね」と握手を求めてきたり、「わかるよ君の気持ち僕もそうなんだ」などと猫撫で声で近寄ろうとする、そのような詩文には問答無用の蹴りを入れたくもなりますが、こうした手管には抗い難いものがある。 よくわからないものに対峙した時に、より理解しようとする人間の習性を把握したうえで書かれている(かどうかは知らないが)、だからこそ、どれほど「読めない」読み手であっても、本作の(それこそ俗な形容を用いるなら)ドグラ・マグラ然とした、言い知れぬ不安や絶望といった衣装の端を望む望まざるにかかわらず掴んでしまうのです。 此処には、一切の「リアル」は(常に疲弊しているので)存在しない、あらゆる「理解」は(予め間違っているので)葬られている。ただ、哀しい予感だけが、申し訳なさそうに揺らいでいる。 刮目し、沈黙の声を聞け。 個人的嗜好には、見事なほどかすりもしませんが、秀逸な詩文として審査員特別賞に推挙させていただきました。 もう一作の応募作品も興味深く拝読致しました。 寡作な書き手ですが、新作品発表を心待ちにしているのは私だけではない筈の、日本有数の詩人であることは間違いないでしょう。 優秀作品賞受賞、おめでとうございました。
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