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さてそして、思うように筆の進まないままに選評公開の日を迎えようとしております。 自身の、語彙のひとかたならぬ貧しさに加えて、理路整然とした脈絡に乏しい文脈や構成力にうなだれつつも、これからも少しずつ書いていきたいと思っております。 明晰ではない、なんだかじれったい文章ばかりを読んでいただくことの失礼を改めて御詫びしつつ、以後は 審査員特別賞受賞作品へのコメント(私が一次選考で推挙させていただいた応募作品は含まれておりません)、 次いで、一次審査にて推挙させていただいた作品、 続いて、惜しくも選外としましたけれども忘れ難い印象を残したり、センスの良さに感じ入ったり、才の片鱗に心を奪われそうになった作品、などにも触れさせていただく所存です。 また、その後となるかもしれませんが、当企画の各審査員諸氏全員の(私見ですが)御紹介も致したく存じます。 あとは、この機会に、少しばかりの与太を申し上げます。 文学とは何か?または、詩とは何か?、といった問いを前にして、流暢に返答ができるほどには、私自身は未だ足りません。 (学業をリタイアし、ブルーカラーを生業としているのが実像のプロフィールです(ネガティブに卑下しているのではなく、誇りを抱いて仕事に従事しておりますけれども、つまり、知的な嗜みや訓練の不足は、指摘を待たずとも自覚しておる次第です)。そのような、けして知能が高いとは言い難い私は、素晴らしい作品と対峙して絶句している自分の、感謝にも似た想いを、それに限りなく近い言語に変換する能力の赤裸々なほどの欠如を自覚しつつ向かい合う日々は、なかなか辛いものでした。) が、それでも尚、文学、ことに詩は、ある種の「救い」であってほしいと何らの根拠や正当性の如何もないままに願ってしまうのです。 以前にも何処かに書きましたけれども、巧いか否かだけではない、また、文学的なサロンで愛玩されるような詩や読み解くには特別な訓練なり知識なりの蓄積が必須であるかのような詩でもない、些細な事象や軋轢に苦しんだり哀しんだりしている脆弱であったり小利口であったりする鼻持ちならない大衆の、彼女や彼が他者からひたすら隠そうとしている柔らかな胸に届くような詩こそが、求められていると私は感じております。 疲れ果てて帰宅したサラリーマンが、 嫌な客に絡まれても笑顔を絶やさなかった風俗嬢が、 初めての失恋の渦中で世をはかなんで今まさに手首を切ろうとしている思春期の少女が、 余命を告げられ独り病床で静かに歌う老婆が、 (以下、中略) 大切にソッと抱きしめるような、たとえばそれが私にとっての「新しい詩文学」なのですよ。 書き手各々の事情や思惑はさておき、当企画に限らず「賞」と名付けられたものを幾ら得ても(それは素晴らしい仕事を為したことで報われた故の結果であるとは理解しますが)、なんとなく「名刺の肩書きが増えた」だけのような印象が拭いきれないでいます。もちろん、当企画は例外だ、と公言して憚らぬほど厚顔ではありません。が、しかし、感傷に流れたり主観に偏り過ぎていて誠に申し訳ありませんが、「詩人の靴を舐めるばかり」であるところのピクルスこと私の、あらゆる詩の選考基準の源泉は、そこにあり、そこにしかありません。 そして、さればこその「我が子にまで語り継ぐべき詩文」であり、それ故に、「21世紀新鋭詩文学」なる(失笑を買いそうな程度には大仰な)冠を付けているわけです。 「飢えた子に文学は有効か?」という有名な問いがありますけれども、では、今まさに手首を切ろうとしている少女にワン・ホールのボリュームあるケーキが果たしてどれほど有効でしょうか? 詩には、人を瀕死の淵から救う力すらある。私は、そう思っております、たとえそれが書き手の意図せざる力であったとしても。 そしてまた、願わくば自身のそう遠くはないであろう臨終の際にも、そうした(既にある、或いは未だ書かれていない)素晴らしい詩文と寄り添いながら(実際的に痛くても苦しくても構わないから)、心静かに逝きたい、それは極めてパーソナルな、ささやかな願いですけれど。 与太が過ぎました。 引き続き、選評を続けさせていただきます。
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