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「ラストモニュメント」いとうかなめ (審査員特別賞/推挙・ケムリ) 実に個性的なテキストです。 戦争をモチーフとしながらも、暑苦しいアジテーションの一切を避けて記述されている(もとより、ヒューマニズムに訴求するように書かれた例えば「戦争反対」は、冷徹なる他者の失笑を買うか、かのスネークマン・ショーを持ち出す迄もなく「ネタにしかならない」のが関の山でしょうから)ところに着目するべきでしょう。 情緒に流れることなく、寧ろそれを揺らせながら顕して、「予言」と名付けられた恰も追悼や鎮魂の存在を指差しているとさえ感じさせるその先にあるものが如何なるものであるかは、これだけ「説明(のみ)」によって話者から語られている形式にもかかわらず全く明示的ではない、そうした優しくない導きは、漠然とした景色や曖昧な意味付けがコミカルに堕ちる寸前で、さながら求道者のような風貌をしたテキストであることに気付かされる、妙味ある作品ですね。 ところで、余談ながら、詩作に向かい合う若い方々の陥りやすい罠の一つとして、「説明に過ぎてしまいがち」な側面が数年来、特段に散見されますけれども、私(達)は「詩を読もう」としている(その熱心・不熱心さの別はさておき)読み手であって、電気製品の取扱い説明文を読みたいわけではけしてない、そこのところを心得違いしないでいただきたいと望みますね。もちろん、「詩は何を書いても自由だ」という主張に対して、その姿勢の根拠にかかわらず私は全く否定はしません(賛同もしませんが)、かくいう私とて苦言を呈するほどには足りないと承知してもおります、しかしながら、「何を書いても自由だ」と自我の頭を撫でながら凱歌をあげる以上は、その(形態を問わず)テキストに対してどのようなコメントが告げられようとも甘受せねばならないでしょう。さもないとスジ論的にアンフェアであるばかりではなく、一切のクレームを拒否する悪徳電気メーカー然とした人物であるというあまり喜ばしくない作者評価が待っているのみでしょうから。特にインターネットに於いて、(全てがそうであるという断定は避けますが)その作品に向けられていた筈の印象批評が、作者自身に対する誹謗へと変容しがちな主因は(私怨を除外すれば)、作者サイドの応対の誤りや不遜な態度からしか発生していないと感じます。 余談が長くなりました。本作に立ち戻ります。 「説明」が、説明として機能しないが故に、わけのわからなさに焦点が絞られていくように造られた構造とその円環、これもまた技法ではありますが、この書き手の筆は「常識に汚染されていない美」を備えている、ここが素晴らしいのではないでしょうか。 だからこそ、読み手が結ぶ像も卑近な「悩み事相談室」とは、遥かにかけ離れた詩情豊かな地平へと苦もなく招かれるのです。 内部であれ外部であれ、それを「気分」として取り込んで、共感を得易い言葉に変換する作業は、「(例えば思春期特有の)不安を支える装置」としては機能するかもしれないが、一度書かれたら死ぬことで、日々、他の誰かしらに同じ作品を百万回書かれるであろうし、また、一度読まれたら(その作者に好意を抱いている読み手でない限りにおいては)再び読まれないであろう、そのような詩ではないゾンビのような何かしらである、という認識を改めて抱かされるに充分な示唆に満ちたテキストでもありました。 「さっぱりわからない」ことが面白いのではなく、「とてもよくわかる」ことが面白いのでもなく、「わかりにくい」ことこそが面白さに繋がるのではないかな、と私は思いますね。 ただ、いかんせん、昔語り口調の柔らかさとは裏腹の若干の堅苦しさと、やや抑揚に欠けるきらいがあって、そのあたりが読み手に邪険にされかねない(予め読まれない)懸念がありますので、私自身は一次選考で推挙させていただくのを見送りました。 なお、この作者の、もう一作の応募作品は推挙しておりますので、それにつきましては後日(年を跨ぐことになりそうですけれども)、触れさせていただきます。 審査員特別賞受賞、おめでとうございました。
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