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光が光であるには、或いは影が影であるためには、影であってはならず、光であってはならない。 ヒトは誰しもこのことを幼い時分に悟り、自らの半身を夢の中へと隠して(決して消すことは出来ないので)しまいます。 これは全てのヒトが通る、個性化の過程。 しかし、だから、ヒトは自らの半身を探して生きる。 影を恐れ、影と戦い、影を押しのけて、夢の奥底に忘れてきてしまったヒトは、どんどん病に陥ってゆきます。 そのヒトの生はどんどん貧しいモノでしかなくなって仕舞う。 この詩は、かつて置いてきて(隠して)仕舞った半身を、夢の中から救い出し、再び手を繋ぐ話でしょうか。 少女にその旅をさせるのは、愛おしむ感情。この詩からは、少女の、少年(半身)に対する愛おしさが溢れてくるようです。 遂に出会う場面は、人類に普遍的といってもよい感動を呼びます。 満たされる。半月が、ひとつの円に還る。 それは誰しもが夢見る、世界最大の幸福。それが、ありありと伝わってくるのです。 この手のお話(詩ですが)は大体ここでめでたしめでたし、となり、幸せにいつまでも暮らしました、で世界が終わるものです。 しかしこれは、その後を予感させる締め括りになっています。それはこの幸福を永遠の中に封印して仕舞うのではなく、いつかは終わる、この現実の中に居続けようという決意(という程強いものではないにしろ)でしょうか。
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