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「何も意味しない」は、何を意味するか。なぞなぞのような問いだけれども、ダダの真の意図を理解するためには、そして「ダダはモダンではありません」と、未来派やキュビズム、シュルレアリズムとあくまでも一線を画したがったツァラの本心を、私たちの実際の生活において生かすためには、ここをちゃんと抑えておかなければいけない。なにしろ、「ダダは一種の精神状態」で、「人は嬉しかったり、悲しかったりするのと同じように、ダダである」とまで、ツァラは言うのである。そうまで言われては、私たちの精神状態の一つであるらしいダダを、何かよくわからないもので終わらせるのではなく、しっかりと認識し、そのダダ的な状態をポジティブに人生に取り入れたい、と思うのが人情ではないか。言うまでもなくダダは魅力的だ。ユーモア、強烈さ、アイロニー、冗談。これらキラキラと煌めくものたちを携えて、ダダは私たちを、ズドンとやってしまった。上からも、下からも。 ではそのダダを考えてゆくために、もう少しダダ宣言に注目してみよう。ダダ宣言、特に「弱き恋と苦い愛についてのダダ宣言」の中で、繰り返し登場する言葉、それは「白痴(L'idiot)」である。 「僕らに欠けているもの、興味をそそるもの、稀有な個人の持つ異常性、おおいなる反人間の自由な生気、ゆえに滅多に見られぬもの、それは 白痴だ。ダダは総力をあげて、いたるところで白痴の復権に努めるのだ。しかも意識的に、である。そしてみずからもますます白痴になろうと志向するのだ。」 念のためラルース仏語辞典で、「idiot」をひいてみた。「1.知性や良識の欠如した人。2.知性の無い人。3.白痴性(idiotie)を持つ人。」この解説の、なんと間の抜けたことだろう。「idiot」は辞書の中には収容しきれないのだ。少なくともこの中には、ツァラが「白痴の復権」という時に意図した「idiot」の強さはない。でもこれはこれで愉快な解説なので、良しとしようか。白痴とは、と聞かれて白痴性を持つ人、と答えるなんて、はぐらかしもいいとこである。ダダだ。
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