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1 「――光は痛いですね。 きみは風にのれば影がなくなるのをしっていますか? きみの記憶は焦らずに、 ゆっくり歩いていけば自然と埋まってゆくでしょう。 きみよりも地面のほうが積極的なのですが――」 「月は別人になりました。 あれでは太陽でしょう。 垂らされた糸につながれているだけで、それを人間とすることにわたしは納得できません。 横に揺れてはぶつかっているあれの名前は何ですか?」 ――いかないで、 ――いかないで、 (みんなは忘れているかもしれないけど、あたしたちの秘密基地、あそこにはまだひとつボールがあるの。土の中に埋めた目のないボール。くるくる動く、解体される基地の下に、風に流されて落ちてきたあのボールだよ!――約束したよね!) あたしの隣に住んでいた女子学生は甘いものが好きでした。 市の図書館で隠れてチョコレイトをもらった事があります。 それはみんなと約束した日の何日か前の事でした。 その帰り道にバスは山へとのぼり、あたしはおねいちゃんが山には行くなと言っていたのを思い出したのですが。…… 2 あたしの耳はあたしを捨てて遠くへ飛んでいってしまった。 恩知らずな耳とは違って目はあたしを好きなようで、バスからおりた後もついてきました。 その、あたしの目の前では大きな口をした少女が小さな指でオルガンを虐待していました。 どどどどど、 どどどどど、 どどどどど、 繰り返す「ド」に、意味があるのかはわかりませんが、彼女は無邪気に笑いながら黒、をリズムよく痙攣させていました。 (黒、といえばチョコレイトを連想するね! チョコレイトがあれば、なんて思っていると、少しだけあたしの腕が黒くなった。あたしの腕は、甘くない。おねいちゃんの腕はチョコレイトみたく甘かったのかな、) 他の子たちはとっくに帰ってしまいましたが、彼女の次があたしだと先生は言いました。 先生はあたしとオルガンの少女に興味はないらしく、あくびをしながら外をみていました。 あたしが順番を待っているあいだに先生の指から指輪が何度も落ちていましたが、サイズがあわない事に先生は気付いていないようでした。 (「あら、やだ」と呟いては指にはめて、また落とす、の、繰り返しを、続けている先生は、機械みたいにつめたい、……) その、視線の先は、というと、いつものように蜘蛛がたくさんふっているだけの空、なのですが、先生は指輪をはめるとまた気の抜けた顔で、その雨のカタチをみていました。 指輪にしても、オルガンにしても、それはずっと、空があたしたちを許してくれるまで、何日も、何日も、でした。 3 山の下から水が、 あたしたちのほうへと流れてきてくれた日がありました。 オルガンを待ちはじめてから何日目の夜だったでしょう。 あたしが外へ出ると月が優しく抱きしめてくれました。 (外では、たくさんの蜘蛛の死体が山の下まで繋がっていて、先生があたしに目隠しをした。 月の光がとおくなって、にぎっていた糸がおともなく、 ちぎれちゃった。……) 出来る事トカ、 出来ない事トカ、 埋もれた記憶トカ、 なにかを、 あたし、 約束していたはず。 (あたし、 新しい世界を視たかった。 みんなが口を閉ざしてしまった世界に拘るのをやめて、 新しい世界を視たかった。 あたし、 永いあいだ遠くで響いている音ばかり聴いていた。) なのに、 黒い腕をかじる。 甘くない腕を、…… あたしは耳を呼び戻す。 あたしは、 早くバスに乗ってみんなのいる秘密基地にいかなくてはならないと気付いた。 4 みんなは忘れているかもしれないけど、秘密基地にはまだひとつボールがあるの。土の中に埋めた目のないボール、 約束、したよね。 みんなは忘れているかもしれないけど、あそこには、まだ、 (甘い、甘い、チョコレイトが、) ※推敲09.6/10 絵:鹿島
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