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0 「ダーツで決めましょう。」 気のない声でそう言った彼女に、「何を?」と僕が訊くと彼女は、「どちらが彼処に行くかを決めるのよ。」と言った。 「的に刺さったら貴方の勝ち。外れたら貴方の負けね。」 彼女は椅子に座る僕を見下ろしながら重ねて言った。 「投げるのは?」 「私に決まってるでしょう。」と矢を見せながらどこか不機嫌に言う彼女に、『勝負にならない。』と言いかけたのだけれど、一つ溜息を吐いてから僕は、「お好きに。」とだけ返した。 「それじゃあ、投げるわよ。」 彼女は放恣な微笑みを見せてから矢を持った腕を引いた。 「……おいおい、」 分かっていた事ではあったが、あまりにもあからさまさすぎて僕は苦笑してしまった。 彼女が勢い良く投げた矢は見事に天井へと刺さったのだ。 これには文句の一つでも言ってやろうかと思ったけれども、僕を見下ろす彼女のその冷たい射るような眼差しが、僕の文句を喉あたりで止めてしまった。 「行けば良いんだろう。」 「何処に行くのかしら。」 彼女は意地悪く言った。 僕にどうしてもその場処の名前を言わせたいらしい。 「『終わった世界』に、」 僕が明瞭に言うと彼女は立ったまま僕の瞳を覗き込んだ。 「良い旅を。」 『心にもないことを。』 僕は何も言わないまま殆ど滑稽に見えるほど大袈裟に肩を竦めてから溜息を洩らした。 僕はこうして終わった世界に行くことになってしまった。 * ――プロテスタント。 * 向こうがややこしい事になっていなければ良いと思いながら僕は立ち上がり、彼女は口端を上げて幽かな微笑を見せた。 彼女の微笑はまるで遥か彼方の静けさのような。…… 1 私は白いワンピースが嫌い。 小学生くらいに見た映画で殺される人は皆、白いワンピースを着ていた記憶があるから。 * 子供の頃に隣の雨音ちゃんが犯されて殺されたこともそう。 正確には殺されてから犯されたのかもしれないけれど、それは私には全く関係のない話。 彼女の記憶は白い窓に垂れる雨のように流れては消える。 彼女は白いワンピースを着ていたから殺されたのだ。 私は今でもそう思っている。 私は雨音を聴く度に、莫迦だなあと雨音ちゃんを思いだす。 * 買い物帰り、人通りの絶えた住宅街を歩いていた時のこと。 突然精液を服にかけられた。 それが精液と分かったのには少しばかりの時間を要した。 眼球だけを動かせて私は精液を放ったそれを見ようとした。 私はそれをただじっと見たかっただけなのだけれど、空から降りてきた(本当に、)蛍光灯の光を浴びているような、青白く滲んだ男に視線を奪われた。 「――何だ、おまえは、」 何と云う凡庸な反応だろう。 精液の男が震える声で訊いたのだけれど、男は返事はしかねると云うように肩を竦めた。 それから男は、精液の男を無視して、醜く澱んだ瞳で私を見てきたので私は微笑った。 * 「黒い服で良かった。」 * 私は空より降りてきた『彼』に気の遠くなる時間を視た。 今もまた静かな夜の滅びと共に、魚が何処かに消えてゆく。 音も遺さずに。…… 2 音のないまま現れては消えていった記号が其処にはあった。 記号の森の小さな家で僕は、喪った人間と話をしていた。 森のなかでは、震える空もなければ透き通る水もない。 ただ一つの死が其処にあり、記号が上空を流れていった。 * 「庭の、あのロープで彼は記号に戻った。」と彼女は言った。 * もう何度聴いたかも分からないほど彼女は繰り返した。 『死んでしまった人間が記号となって、新しい樹が生まれるのか、』と僕は思ったのだけれど、そもそも僕たち自身が記号である可能性もまた存在する。 * 庭の樹には、『何処にも行く処がない。』と彫られていた。 * その下にはある記号が書かれていて、それは彼女の知り合いなのだろうかと僕は振り返る。 すると彼女は、神経質な冷淡さが窺える微笑を浮かべた。 * 「きっとまた其処で、誰かが記号へと戻ってゆくのよ。」 * 僕は何と言葉を返すべきか迷った末に、「それが君でなければ良いけれど、」と言った。 僕より放たれた言葉は記号の森に吸い込まれてゆく。 彼女に届く言葉は何もない。 * 一度の終わりを迎えるために既に終えたはずのものたちが還ってきてしまっている。…… 不要の記号を燃やしたあと、灰のなかに残ったものが記号の森の中をさ迷い続けていた。 それらを優しく包み込む世界は何処にもないので、それらはすぐにひび割れてしまう。 * ――この記号のように、 3 記号の森深くに彼女はいた。 喪われた何千と云う記号が、彼女のまわりを散乱していた。 生きた時間を忘れてしまうくらい永い時間をかけて辿り着いた記号が一つ、名前すら与えられないまま、音もなく消える。 * サヨナラ、サヨナラ、 * 「あなたはどうして此処に来たの、」と彼女が訊くと散乱していた記号の一つが光となって、樹のあいだを抜けていった。 ――どうして来たのか。…… 何故だか僕にはそれが思い出せず、低声で、「ダーツで負けたからかな、」とだけ返した。 「誰とダーツをしたの、」 僕は何も答えられない。 不意に、視界の一番端にある記号の存在に僕は気付いた。 それは誰でもない誰かだ。 僕は何も判らなくなって目を閉じたのだけれど、彼女の囁きは魅惑の源泉のようにいつまでも瞼の裏にまつわりついた。 * 『彼女は全てを知っている。』 * 森の空気は雨滴を含んでいて、樹々は燦爛と輝いていた。 『視界の中に視る事のできない処があり、隔てられた処で何かが起こっている』事を僕は分かっていたのだけれど、僕はエンドロールが終わって画面に何も映らなくなるのを待つように、目を開けて彼女を見た。 * 「遠くで泣いているよ。誰にも気付かれずに消えてしまった記号の音が、あなたの耳にも届くように幽かに泣いている。」 * 彼女がそう言ったあと僕の目の前で記号が震えだしたので、僕は記号に触れようとしたのだけれど、指先は凍えるように冷たくなり、僕はどうする事も出来ず、彼女に視線を戻す。 彼女が僕に感情の窺えない微笑を見せてから、その冷たい記号に触れると、記号は新しい雪のように消えてしまった。 ――あの記号はまた生まれる事が出来るのだろうか。 そう思っているあいだにも僕の目には、彼女のまわりに降り続ける記号だけが見えていた。 * そして僕は、『誰とダーツをしたのだろう、』と考える。 * 白くつややかな顔の微笑を寄せてきたあの少女は、 ※絵は狗太郎
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