投稿日08/21 00:35
「生きようって思い始めたのは」
柚谷ねこみち
さていつの頃だったか…
なんて、今当たり前に、それこそ空気のようにしか思っていないことを考え出したのはいつの頃だったか‥といえば多分17歳だったよなと、最近の宛名のないメールを読みながら思い出しました。
生きようと思ったきっかけ
きっかけは愛猫の死。
学校に生み捨てられ生後一週間で我が家に来た子猫‥掌サイズで、本当に小さかった
眠い目を擦りながら毎日ミルクを与えて育てた
目が開いて部屋を駆け回る姿に愛しさを憶えて
17歳の人間は、猫の子を我が子のように慈しんだ
‥と、見映え良さそうに綺麗に書いてみた。(とは言え人と猫で親子とかキモいと思った方が居たら申し訳ない、でもそういうもんなんだよ)
でも本当にあの日々は綺麗で、且つ幸せだったと思う。とりあえず20代前半まで生きてますがあれだけ満たされた日々はあれっきり‥とか言うと枯れてるとか言われてしまうのだろうか(笑)
だけどそれほどに満たされた時間だった。
それから日々が坂を転がり崖に堕ちるまではあっという間で、束の間‥とはこの事だと、今にして思う。
やがて子猫の身体が病に犯されていたことが判った
白血病
母胎感染だろうから防ぎようがないと医者に言われながらも闘病の日々
日に日に弱る身体
2月16日の23時過ぎ
眠るようにして、逝ってしまった
逝かせてしまった
生まれて初めて、慟哭するということを体感した
代わりに自分が死んでしまいたかった
小さな身体が冷たく固くなるのを止められず、ひたすら泣いた
最後に残ったのは両手の平に収まる骨壺に入った小さな骨たち
なんて‥なんて小さかったのだろう
部屋を跳び跳ねるように駆ける姿やふわふわの毛並みも、柔らかになくあの声も見れず触れられず聞けず、唯その事実が悲しくて泣いた
泣き腫らして学校に登校してみれば、そこからまた頭を鈍器で殴られた感覚を覚える
担任に欠席していた理由を話すと(猫を火葬に見送った日や以前も‥三学期中はちょこちょこ休んで単位がヤバかったということもあったりして話さざるを得なかった)一喝され、他の教師にも一喝され‥まぁ確かに二年の三学期に欠席多いのは問題だと思ったけど、
「所詮ペットの命」
とか言われて
悲しいのか腹立たしいのかもよくわからなかった。
…と、書き始めたら思いの外長くなってきたので今回はこの辺で。
続きはまた次回。
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