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[1] マーク・ボランについて
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マーク・ボラン
(本名:マーク・フェルド)
1947年9月30日英国生まれ。

幼い頃からチャック・ベリーやエディ・コクランなどに憧れ、「チビのビバップ野郎」といわれるほどロックンロールに夢中になる。十代の頃にはティーン向け雑誌の読者モデルなどをやっており、この頃からスター願望はかなり強かった模様。

何度目かのトライでレコード会社のオーディションに合格し、トビー・タイラーとして念願のソロデビューを果たすも不発。新たな芸名として、マーク・ボランと名乗るようになる。なお「ボラン(BOLAN)」は、マークの敬愛するボブ・ディラン(BOB DYLAN)の名前を縮めたものだという説もある。

その後、ジョンズ・チルドレンへのギタリスト兼作曲家としての参加など紆余曲折を経て、68年に無国籍風アコースティック・デュオのティラノザウルス・レックスを結成。アルバム4枚をリリースし、アンダーグラウンドシーンにおいてそれなりの成功を収める。

70年、名称をT・レックスと縮め、エレクトリックギターとストリングスをフィーチャーしたシングル「ライド・ア・ホワイト・スワン」がいきなり全英2位に。続く「ホット・ラブ」が本人も驚くほどの驚異的な大ヒットとなり1位を独走、十代の若者を中心に一気に人気が過熱する。ロックバンド編成となり71年にリリースされたアルバム「電気の武者」は英国で7週連続1位を記録。その音楽は『グラム・ロック(魅惑的なロック)』と呼ばれるようになる。

摩訶不思議な歌詞で歌われるシンプルでキャッチーなメロディーとギターリフ。そこに裏声コーラスとストリングス、パーカッションが加わった独特なサウンド編成。また、メイクや女性的なファッションの採用、大仰なパフォーマンスが同世代のアーチストに多大な影響を与え、グラムの一大ムーブメントを巻き起こす。

だが、74年頃にはその独創的なスタイルはマンネリとして受け止められ、傲慢な態度や放縦な生活スタイルが反発を呼び、圧倒的人気に翳りが見え始める。さらに、ドラッグの多用や暴飲暴食による肥満でルックスに精彩を欠くようになった彼は「豚の妖精」と揶揄されるほどに嘲笑され、黒人音楽のテイストを採り入れた新たなサウンドの方向性も一般には受け入れられず、これ以後多くのファンが離れていってしまう。アメリカにおいても唯一「ゲット・イット・オン」のトップ10ヒットのみで、成功を収めることは出来なかった。

このセールス低迷期の作品も含め、今日では「T.REXのアルバムに駄作なし」といわれる程の音楽的な再評価を得ているが、74年以降のT.REXは人気が凋落したアイドルグループとして語られ、マークは完全に過去の人扱いされていた。当時のレビューも正当性を欠くものであり、不遇の時代が続く。

77年、新たなメンバーとともにアルバム「地下世界のダンディ」をリリース。パンクバンドのダムドとともにツアーを行い、積極的な活動を展開。自らが司会を務める音楽番組「MARC」において、盟友であるデビッド・ボウイとの共演も話題となる。ボウイと共同で新人プロデュースをする話もこの時期には持ち上がっていた。

だが同年9月16日早朝、恋人グロリア・ジョーンズの運転するブリティッシュレイランドGTが衝突事故が起こし、助手席に乗っていたマークはそれにより命を落とす。グロリアの酒酔い運転によるスリップが事故の原因であった。彼に大きな外傷は見られず、死因は事故の衝撃によるショック死と診断される。

この日は彼が30歳になる誕生日のちょうど二週間前であり、生前に冗談めかして語っていた「僕はスターだから死ぬのは30歳前だよ」という話を、皮肉にも自ら実現してしまうかたちとなった。享年29。




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