吉田群青 短編集


ナオコさん



ナオコさん、という人が友達にいる。
さん付けで呼んでいるが、同い年である。
ナオコさんは、皮膚や髪の色素が薄く、瞳が茶色い。
すこし小太りで、とてもすべすべした二の腕を持っている。

ナオコさんはものすごくしっかりしている。
蕎麦屋に入ったときには、注文を決めかねて、あ、あ、と迷っているわたしを横目に、
わかめそばを二つ、さっさと頼んでくれるし、
家に行ったときには、カレーやリンゴ、おせんべい、かりんとうなどを次から次へと出してくれる。
一度、ナオコさんの前で煙草を吸ったら、ひどく怒られた。
親が泣くぞ、としっかりした声で怒られた。
わたしはすっかり恐縮して、165cmの体を折り曲げて、
152cmのナオコさんにペコペコと謝った。
以来、ナオコさんの前で、煙草は吸わない。

ナオコさんは、恋人ができたことがないそうだ。
わたしからすれば、ナオコさんは女の中の女、であるのに、
世の男たちには、ナオコさんの良さが分からないらしい。

好きな人ができたけど、ふられっかわかんねえんだ、
と珍しくうつむくナオコさんに、

ナオコさんをふる男なんつうのは、たいした男じゃねえに決まってら、
と言って、肩を叩いた。

そのとき、わたしたちは緑地公園、という、
地元のヤンキーカップルがそこここで野外セックスをしているようなさびれた公園の、
ロケット型の遊具に座っていた。
ふと、手持ち無沙汰で、つい煙草に火をつけてしまったが、ナオコさんは怒らなかった。
わりいな、と一応謝ると、たまにはいいべ、と言って、ちょっと口を曲げた。
笑ったのかもしれない。
それから少しして、ナオコさんがふられた、という噂が流れた。

次にナオコさんに会ったのは、七夕の日だった。
ナオコさんは少し痩せて、髪が少し伸びていた。
わたしを見て、ちゃんとめし食ってんのかよ、と尋ねてきた。
あんまり食ってねえわ、と答えると、
そんなことではダメだど、と言って笑った。
ナオコさんの失恋についてはどうしても聞けなくて、
金魚を飼いたいが、水槽はカインズホームで買えるか、とか、
誰々のうちが夜逃げした、とか、
同級生のうちの弟がヤンキーになった、とか、
そんな関係のない話ばかりした。
そのうち、夜になったが、今年の七夕も、曇り空で、
ふらふらと二人で歩いていると、いつかのように緑地公園に着いた。
ナオコさんに向かって、短冊書いたけ、と尋ねると、書いてねえ、と言うので、
ふたりで短冊に書こうと思っている願いを、発表し合うことにした。
わたしは、車の免許が、できれば取りたいです。と言った。
ナオコさんは、しばらくもじもじしてから、
ここを離れて、どっか遠くに行きたいです。と言った。
どこかって、どこよ、と聞くと、ナオコさんは、ハワイ、と言った。
なんでハワイよ、と聞くと、
なに、遠くっつったらハワイしか思いつかねえんだ、と笑った。
ナオコさん、それ、相当シブいわ。と笑うと、
あたしは、ハワイのいい男と結婚して、子供たくさん産むんだ、と真顔で言った。
なんとなく、二の句がつげなかった。
来年、ナオコさんはハワイへ行ってしまうかもしれない。
と思ったら、すこし悲しくなって、蕎麦屋へ行ったときとか、どうすればいいんだろう、と思ったら、もっと悲しくなった。
曇り空から、雨。

わあ、と言い合いながら、走ると、サンダルが滑って、転んでしまった。
何やってんだ、おめえ、と起こしてくれたナオコさんは、
やっぱりいつものナオコさんで、いい女のナオコさんだった。
ナオコさん、愛してる。
思わず言うと、ナオコさんは、なに言ってんだ、おめえ、きもちわりいど。と笑って、先に走っていってしまった。

ハワイに行ったら、きっとナオコさんは、すぐにクールなサーファーとかと結婚して、思いもよらないくらいたくさんの子供を産むだろう。
その子供がナオコさんに似てたら、一人くらいもらって、育てようかな、と思った。
なんとなく。
雨は、スコール、というくらいの勢いで、ナオコさんはもう随分遠くに行っていた。
かすんだナオコさんが早く来いよー、と手を振っていて。
なんか、天国にいるような感じで、ベリーグッドな気持ちだった。

それから、わたしは東京に来てしまったので、
ナオコさんとはもう四年くらい会っていない。
もうハワイに行ってしまったかもしれないが、
会いに行けばきっと元気で、また、カレーやなんかを作ってくれるはずだ。

ふと、目の前にあったルーズリーフを長方形にちぎって、ナオコさんが幸せになりますように、と書いて、
紐を通してカーテンレールに吊るした。

ナオコさんが、幸せになりますように。




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