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 Stuck on U
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「この部屋は相変わらず寒いね」
 ユキトはいつもと同じように裸足でフローリングの上をぺたりぺたりと歩く。ざっくりと編んだ少し大きめのセーターの袖からちょっとだけ出ている両手でホットミルクの入ったオレンジ色のマグカップを注意深く持ち、キッチンからソファまでの3メートルを時折窓の外を見ながらゆっくりと歩く。
 足の指が真っ赤になるから靴下を履きなさい、と注意するのだがユキトは言うことを聞かない。
「今朝少し雪が降ったんだよ。見た?」
 ソファまでようやく辿り着いたユキトが窓の外を見ながらぼんやりと囁いた。俺はいや、と一言だけ答えてマグカップに薄い珈琲を注いだ。

 ユキトと出会ったのは今から二年前の春。桜の木の下で入学式をボイコットして居眠りしているユキトを暇つぶしに見回りをしていた俺が偶然見つけた。怒鳴ってやろうと近付いたのだが、何故か俺は眠っているユキトをじっと見つめたまま動けなかった。そのことを後々ユキトに告白すると、くすぐったそうに笑って
「一目惚れだったんだ」
 と答えた。それはどうだかわからないが、結局俺とユキトは出会ってから半年程で恋人同士になっていた。生徒と教師。恋人同士になったからといってこの関係は変わらない。学校では素通りを心がけ、誰が見てもそうではないという風を装っている。しかしユキトはまだそういう部分では子供で、何とか周りに気付いてもらおうとする時がある。すれ違い様に軽く手を握ったり、授業中に俺に片目をつぶってみたりするのだ。冷や冷やする俺を見て優越感に浸りたいのかもしれない。

 ユキトはソファに足を伸ばして座ると、床に置いてある鞄からテキストを取り出した。ここに来るのはあくまでも受験を控えた生徒として来る、それが約束だ。最近頻繁にこの部屋に出入りするようになったのをユキトの両親、特に母親はあまり良く思っていない。ユキトがこの部屋に来る度に電話をよこすのだ。いつもお邪魔して申し訳ないです、と言いながらも言葉の裏にはうちの子に何かしてないでしょうね、という本音が隠されているのを俺は知っている。とんでもないですよ、と答えながら心の中で何もしてませんよ、と呟いているのを彼女は気付いてくれているだろうか。
「ねぇ、3月になったら旅行に行こうよ」
 ユキトはテキストをめくりながら楽しそうに言う。もう志望校の合格は決まっているといった口調に俺は苦笑いしてしまう。ユキトにはいつも妙な自信があるらしい。自分がこうなると思ったことは全て叶うと信じて疑わない目をしている。
「ねぇ、聞いてる?」
 キッチン越しにユキトを観察していた俺の目を真っ直ぐに見て、明らかに不機嫌な顔をしている。ユキトはじっと観察されることを嫌う。でも俺は観察するのが好きだ。小さな足の小指が動いたり、呼吸に合わせて肩が静かに動いたりするのを見ているのが好きなのだ。そしていつも思う。まだ彼は幼い。まだ知らないことが多すぎる。
「聞いてるよ。旅行に行きたいんだろう?」
「そう、旅行。暖かいところがいいと思うんだ」
 17歳のユキトともうすぐ30を迎えようとしている自分の間に時折とんでもない差を感じ、それはどうしようもないことだと落胆するのが酷く怖い。ユキトは精一杯背伸びをしている。大人みたいな表情を覚え、駆け引きを演じようとする。
「友達と行ったほうが楽しいだろう」
「またそういうことを言う」
 距離を、最近そう思う。距離を置きたい。嫌いになったわけじゃない。ただ自分といることでユキトは若い今時分に経験すべきことを経験できずにいる気がするのだ。それは悪友と遊ぶことであったり、同年代の少女と恋愛をすることであったり、横道に逸れて後悔することや、目の前の壁に息苦しさを感じて悔し涙を流すことだったり。
「先生はさ、寒いのと暑いのどっちが好き?」
「どっちもどっちだなぁ。でも暑いほうがマシだ」
 ユキトはテキストで口を隠してふふっと笑った。こういう仕草。ユキトのふとしたこういう仕草が好きだ。少年らしくていい。俺はキッチンから出て3メートル歩いてユキトの座るソファの足元に座った。
「こら、勉強するために来たんだろう」
「俺はね、冬の朝が嫌いなんだ。ぞわぞわするし、なんか妙に寂しくなるから。あれって何だろう。泣きたくなるみたいな感じがしない?」
 ユキトはここに来ても勉強をしないことを俺はわかっている。しなくても充分賢い子だということもわかっている。ユキトのお喋りはまるで小鳥みたいにいつまでたっても終わらない。自分が飽きるまで続くのだ。テキストを無理矢理開いてユキトの目の前に突きつけてもそれを軽く払いのけてお喋りはまだまだ続く。
「でもあったかーい、の飲み物が出るから冬は嫌いじゃないんだ。夏だってクーラーがきいてる部屋は寒いもの。あったかーいが欲しくならない?」
 今日のユキトはとても不思議な感じがする。いつもみたいに大人の目で俺を見つめたりせず、どこか幼さをアピールしているみたいな気がする。
「知ってるんだよ」
 ユキトはふいに目を大きく見開いて俺の顔をじっと見つめた。目の奥に俺の驚いた顔が歪んで見えた。
「先生はね、俺に不安を感じてるんだよ」
 彼の怖いところは胸の不安を奥底に隠していてもそこを射抜くことが出来るところだ、と思う。子供だからと思ってなめているといつもガツンとやられる。子供ならではの直感みたいなものだろうか、とも思うのだが、彼のそれは子供とは違う。
「それに先生はまだ信じてない」
「何を?」
「運命だよ」
 ユキトはテキストを鞄の中に押し込むと、ぺたんと俺の隣に腰を下ろした。同じ目線になると少し緊張してしまう。
「中学生の頃の俺が今の高校を受験してなかったら会わなかった。先生が教員にならなかったら会わなかった。そして教員になって今の学校に赴任しなかったら会わなかった。俺があの日入学式に真面目に出席して新入生代表挨拶をしてたらこうはなってなかった」
 ユキトは指を折りながら「運命」について真剣な表情で語った。確かにいろんな偶然が重ならなければこうして顔を見合わせて奇妙な巡り合わせについて語ることもなかっただろう。大学生の頃、俺は教員になるか普通のサラリーマンになるか迷ったことがある。結局教員の道を選んだのは今の学校の校長が俺の親父と大親友だったから、という単純な理由からだった。もっと言えば面接を受けた一般企業全て不採用だったから、なのだが。もしあの時一社でも合格していたらこうはなっていなかったかもしれない。
「先生は俺のことを心配して友達と遊べとか他にいい子がいたら遠慮なく離れていいとか言うけどさ、そんなことしたら怒られると思うよ」
 ユキトの顔がギリギリのラインまで近付く。この子は気付いているだろうか。今どれほど俺を動揺させているのか、そして見せたこともないような表情をしているのかを。
「誰に怒られるんだ」
 ユキトは、にっと笑って神様、と呟いた。
「運命は予め決められてるんだ」
 ユキトは長い睫毛をしている。少し伏せるとそれがよくわかる。若々しさをほとばしらせる白い肌も恐ろしく深い青い目も、いつもどれほど10歳以上年の離れた俺を動揺させているかわかっていない。いや、彼のことだ。わかっていてやっている。そうとしか思えない。ギリギリのラインで笑っているのだ。
「じゃあ神様って奴がいるとして、これから先どんな運命がそいつによって決められてるんだ」
「さぁ、それは俺にもわからない。だって俺は神様じゃないから」
 あ、と思った時にはもう遅かった。軽く触れた唇の感覚が頬に残っている。約束があるからこれが精一杯とユキトは笑った。
「俺の気も知らないでよくそんなことするな」
「それはこっちの台詞だよ。こっちの気持ちも知らないで勝手に2人の間に垣根を作ったりしないでくれない?大人ってそうやって適度な距離をかっこいいとか勘違いするけどそうじゃない。俺はそういうのかっこ悪いと思う」
 ユキトの前では建前が通用しないことがよくわかった。
「無理に背伸びするのもかっこ悪いだろ」
「背伸びなんかしてないよ。ほらね、そうやって自分の考えにはめ込もうとするのもかっこ悪い」
 そして口喧嘩にも勝てないこともわかった。俺は苦笑いしながらユキトの頭を撫でた。今までだったら子供扱いするなと手を払うくせに今日は妙に素直に笑っている。
「旅行、どこに行こうか」
「暖かいとこであったかーいがあるとこ」
「難しいな、それは」
 ユキトは窓の外を見つめてふふっと笑った。
 窓の外には小雪がちらつき始めていた。床に座り込んだユキトの足の指はさくらんぼみたいに真っ赤になってしまっている。靴下を履きなさい、と言ってみたがやはりユキトはいつもと同じようにそんな俺の心配など気にもしていない顔で窓の外を見つめている。
 ただ今日のユキトの横顔はどこか楽しそうで、そして幸せそうで、俺も少し幸せな気分になった。







2007/01/17
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