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 傷も消える、その日まで
© 隠紫 
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 R指定:無し
 キーワード:雪・交通事故
 あらすじ:37歳の大地が10年前を振り返る。。
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雪が降る。
あの日と同じ粉雪がまた舞う。

『昨夜から降り続いた雪は、10年ぶりにこの町を銀世界に変えてしまいました!』

興奮気味の女性アナウンサーが両手を広げ、テレビの画面が背後の山や民家へと移動していく。
映すのは白く一変した住まう町。

三浦大地は休暇の朝をのんびりと過ごしていた。
窓から伺える景色は、ブラウン管を通したものとは何も変わらず、静かに、だがしんという音を伴って花びらのように舞っている。

37歳の冬。
大地は窓辺に立ち尽くしていた。
この歳にもなって今さら外に出て駆け回る年頃でもない。
だがこれは運命なのだろうか。
それとも宿命なのだろうか。
同じ日、同じ風景に想いは自然と10年前の今日を思い起こさせる。
あの日もこんな優しい雪の日だったー。



―10年前。

「あ、雪だ」

大地がそう呟いたのは、編集部での昼時だった。
朝から怪しい雲行きで、天気予報では夜から降りだすと言っていたが、いつもどおりに裏切られたようだ。
女性社員からは傘を持ってないとの悲痛の叫びが、これから原稿を取りに行く男性社員は肩をがっくりと落としている。

大地は昨日受け取った原稿をひたすら読破していた。
誤字脱字はないか、“てにをは”がおかしくないか。
読書好きの大地にとって天職のような仕事内容だ。
有名な作家や好きな作家に直接会うことができる。
そして一足先に手に取れる事が、何よりものステータスだ。

大地は、フロッピーにある原稿を一通り目をとおして一息ついた。
誰かが上げた暖房の温度で室内は暖かく頬が赤くなり、夢中になっていたために体がホカホカしていた。
大地は喧騒の中、一人別世界へと埋没する。
思いもよらなかった展開に、一ファンとしてはすぐにでも続きをと願わずにはいられない。
そして次回を考えずにはいられなかった。

ブーブーブーブー。

だが楽しさとはすぐに過ぎ行くもの。
使い方に少しの違和感を覚えつつ、大地は大きく息を吐いた。
机で震えながら小刻みに移動する携帯に手を伸ばす。
恨みたくなるような思いは、親友であり恋人でもある槙瀬郁弥へぶつけられた。

「……何?」
『第一声がそれかよ。今日行っていい?』

大地の冷たい声にも明るい苦笑は郁弥のお手の物で、特に気にした風もなく話は続いていく。

「用事はそれだけ?」
『うん』
「………」

ブチッ。
大地はくだらなすぎる用件に通話を切った。
ワンルームマンションに一人暮らしをしている大地が、夜に留守にしていることは殆どないと言っていい。
郁弥だって普段連絡もなく突然現われたり、いなければ忠犬ハチ公のように玄関前に座っていることもあるのだ。
なのにどうして今なのだ。
至福の時を無下にされ、少々沸点が低くなっていた。
大地も大人気ないとは思うが、下がり切らない熱は携帯にしか向かわない。

ブーブーブーブー。

再び鳴りだすバイブに嫌々携帯を耳へ寄せる。

『なぁ!お前ひどくないか!?いや、ひどい!!』

郁弥の責める大声に、大地は煩いと耳から離しまた話すために近付けた。

「ただ今仕事中です。御用のある方はピーッという音の後に……」
『大地のバカ!!もういい、勝手に行くから待ってろ!』

感情の欠けらも入っていない留守番の真似事をした大地の言葉に、今度は郁弥が切れる。
今日は何かの記念日なのか。
大地は謝るでもなく郁弥も怒鳴るでもなく、無言のまま何分かが経過した頃、ボソッと呟く音があった。

『………好きだから、な』

プ、プープープー。
一言水面に落ちた言葉は波紋を生み大地の胸に染み渡った。
怒りをどこかへ吹き飛ばす魔法の言葉。
切れた通話の向こうから聞こえる電子音に耳を傾け羞恥で真っ赤に染まっているであろう郁弥の様子を想像して口端を上げた。
何の記念日だっていい。
次に会えさえすれば丸く収まり全ては解決するのだから。
そして数時間後、大地は病院の一室で郁弥と再会する。
暗い室内で一つの明かりだけを灯して。

大地は物思いに耽っていた思考を浮上させた。
理由は簡単だ。
辛い場面に差し掛かったから。
一年に一度の習慣を果たすため大地はある場所へ向かった。
そう、愛しい人が眠る場所へ。


車で走ること二時間。
高速を使い、二つほど県を越したところにその場所はあった。
石碑が立ち並び、途中で買った仏花を片手に槙瀬家と刻まれる前に立ち尽くす。
すでに新しく差し替えられている花に、家族が朝一で来たのだろうと線香の前へそっと置いた。
一面白く色のない世界に、郁弥の周りだけ色鮮やかに世界を変える。

電話の後、郁弥は交通事故に遇った。
大地のマンションの裏には小さい公園がある。
そこで雪遊びをしていた子供が突然飛び出し、雪で滑りやすくなった路上では車もブレーキが効かなかったのだと伝えられた。
運転手は首を、郁弥は頭をやられ救急車で大学病院へ。

大地は当時の記憶を辿って自嘲した。
10年経ってもわからないのは今日が、いや10年前のあの日が何の日だったのかということだ。
最後で話した電話での声。
きっと楽しいイベントがあったに違いない。
大地は膝を折りしゃがみこんだ。

「久しぶり。今日は雪だってさ。お前は喜ぶか?それとも苦笑うか?……俺、一つだけ後悔したことがあるんだ…この歳になってようやく気付いた」

この雪が思い出させてくれた言葉に、大地は石碑に積もった雪を素手で払い落とした。
手の甲が冷えてみしみしと軋む。
郁弥の下へ駆けつけ触れた頬が、自らの体温より高く感じ、一ヵ月は死を受け入れられなかったことが昨日のように鮮明だ。
唇をぐっと噛み締め、大地は顔を上げた。

「愛してる…愛してるよ、郁。今も昔もお前だけだ」

外気で赤く染まった鼻先で大地は笑った。
白く吐き出された息は、空に溶け消えていく。
人気のない墓地で、大地の声が天に昇っていくように聞こえた。
37年間、《愛してる》の単語を知らなかったかのように初めて口にした告白。

これから先、郁弥だけを愛していくのかは誰にもわからない。
当人である大地さえ確定はできないのだ。
長い生で気持ちが変わらない保証などどこにもない。
ふっと立ち上がり、大地は肩や頭の雪を払って郁弥の頭をいつも撫でるように石碑を撫でた。

―キザ―

くすくすと笑う郁弥の声が、大地の耳に届いた気がしたが、冷たい北風に遠くへ消えてしまった。
雪の中で幻聴や幻影を重ねたようで空を見上げる。
まだ郁弥の傍に行くには早い。

大地は両腕を突き上げて雪を一粒握り締める。
手の平で息づく雪は、温かく感じられた。








2008/01/27
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