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 コンビニ
© 早 
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 キーワード:コンビニ 大学生
 あらすじ:コンビニ店員「僕」と大学生の「彼」との出会いのお話。
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 初めて彼を見た時、本当に芸能人かモデルか何かだと思った。



 日本人離れした完璧な八頭身。艶のない黒髪は無造作に、しかし計算されたかのような微妙な造形を作っていた。高く通った鼻筋、薄い唇、それから真っ黒な瞳。信心深い芸術家が丹念に作った彫刻のような顔立ちだった。今日はこの辺りでドラマの撮影をするんです。とでも彼が言ったら、僕はすぐに信じてしまっただろう。
 僕が呆けたまま眺めていると、彼の美しい眉間に皺が寄った。
「あの」
 彼の長い指がカウンタの上の缶コーヒーを押して、僕は我に返る。
「あッ、あ、えっと、115円です」
 慌てて缶コーヒーをレジに通す。精算が終わると、彼は無表情で商品を握って足早にドアへ歩いて行く。
「あ、ありがとうございました」
 僕がそう言い終わる前に、彼は店を出て行った。その後も、僕はしばらくドアから目を離すことが出来なかった。
 か、かっこよかったなあ今の人……格好からして、大学生かな。
 ここから電車でふた駅ほど行ったところに有名な国立大学があるため、この駅前のコンビニには下宿生らしき人物がよく訪れる。彼らは皆寡黙で気難しい顔をしていて、僕のような人間には到底わからない難問を、いつも考え込んでいるように見えた。
 何とはなしに腕時計を確認すると、時刻はまだ午前六時だった。国立大学までは電車で十分足らずだったように思う。一限から授業をとっているとしても早すぎるだろう。
「……ま、なんでもいいけど」
 ぽつりと独り言つ。
 他人のことなど、いくら考えても答えは出ないのだ。彼があの国立大学の生徒だという確証もないのだし。
 店内は相変わらずがらんとしていた。数時間後に来る通学ラッシュに控えて、僕は大きく伸びをした。


「いらっしゃいませー」
 翌朝、ドアが開く気配に反射的にお決まりの挨拶をして出入り口に視線を投げかけると、例の彫刻のような風貌の彼がいた。ブラックジーンズに白いシャツという落ち着いた服装だったが、ポケットからはみ出る携帯のストラップと脇に抱えられたファイルケースが、彼の学生らしさを控え目に主張していた。
 彼はまっすぐ飲み物のコーナーに進むと、迷うことなく缶コーヒーを手に取り、他の商品には見向きもしないでレジにそれを置いた。最近CMでよく見る、「朝専用」だとか「眠気すっきり」とかの宣伝文句で売り出している銘柄だ。確か昨日彼が買っていったコーヒーもこれだった気がする。
「お会計一点で115円です、……」
 商品をレジに通して小銭を受取り、おつりとレシートを渡す。いつも通りの接客をいつも通りにやった。今朝の彼は他の学生たちと同じように押し黙ったまま、何ひとつ発言することなく商品を受け取ると、早足で店を出て行った。
 何故だか少し、空しくなった。

 翌朝も、その次の朝も、ほとんど毎朝同じ時刻に彼はやってきた。彼はいつもブラック、無糖の、同じコーヒーを買っていった。
 僕はすぐに彼の顔を覚えてしまっていたが、果たして彼が僕のことを覚えているのかは定かではなかった。ほぼ毎朝顔を合わせているといっても、僕は我ながらなんてことのない、とりたてて言及することもない平凡な顔立ちだ。彼からしたら僕なんて、そのへんにいるとその他大勢、ただのコンビニの店員でしかないだろう。それに比べて彼は美しい。嫉妬などする隙もないくらい、何もかも完璧だった。きっと同じくらい美しい友人に囲まれて、僕なんかには想像も出来ない麗しい日々を送っているんだろう。そもそも僕が知らないだけで、彼は実は本当に芸能人なのかもしれない。彼と僕の価値観など、一ミリも合うところがないかもしれない。
 それでも、――彼のことが知りたい。
 いつの頃からかそう思うようになっていた。彼が贔屓にしている缶コーヒーの味さえ気になって、帰り際に買って飲んでみた。無糖のそれは予想以上に苦くて、僕は半分も飲めずに捨ててしまった。こんなものを好んで毎朝買っていく彼のことが、ますますわからくかった。また少し、空しくなった。
 話したい。声が聞きたい。その造りもののような肌に触れてみたい。彼が店に来るといつもそう思ったが、しかし僕はどうすることもできなかった。僕に許されているのはあくまでコンビニ店員としての事務的な対応だけだ。そもそも店員でなかったとしても、名前も知らないひとに気安く話しかけられるほど、僕は社交的な人間でもなかった。


 そんなある日、好機は脈絡なく訪れた。
 いつも通り店に入った彼が棚から缶コーヒーを手に取り、カウンタに載せ、僕が代金を言う。普段の彼はすぐに財布を取り出したり、あるいは既に手の中に小銭を用意していたりするのだが、その日彼はなかなか鞄の中から財布を探し出せずにいた。彼がぽんぽん、とポケットを叩き、ファイルケースの底を下から見上げるのに、財布は頑なまでに姿を現そうとしない。
 僕はその間ずっと彼を観察していた。彼の髪はいつも無造作に跳ねているけど、今日は少し様子が違うように見えた。墨を流しこんだような瞳は虚ろで、まだ夢を見ているようだった。目元には隈が出来ていて、唇は乾いていた。なんだか様子がおかしいな、と思いながらもぼんやりと眺めていると、彼は観念したように顔をあげ、僕の目を見てぽつりと言った。
「すいません、財布忘れました……」
 彼の声を聞くのはそれが二度目だった。
 僕が咄嗟に何も言えないでいると、彼は缶コーヒーを指さして、やっぱりこれいいです、と早口に言った。僕が返事をするのを待たずに、すっと彼は身を翻す。
 あ、今だ。
 そう思った。
「あ、あのっ! お、お代は次でいいですから、持ってって!」
 自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。ドアを半分押しあけた状態の彼が、目を丸くして僕を見ている。急に恥ずかしくなって、顔に血液がすごい勢いで昇ってくるのがわかった。
「あ、いえ、……大丈夫なんで。今から取りに帰りますし」
 彼が唇を動かすたび、艶のある低い声が鼓膜に響く。
 声まで美しいなんて反則じゃないか。
 そんな見当はずれなことを考えながら、僕はカウンタから出て彼に缶コーヒーを差し出した。
「君は常連さんだから、特別。本当、お代は次でいいから。それに――」
 缶コーヒーについている、「眠気すっきり」のシールを指さして言う。
「それに、これで目覚まさないと、また忘れ物しちゃうよ」
 ぎこちなく笑いかけると、彼もやっと微笑みを返してくれた。いつもの無表情からは考えられない、温かい笑みだった。
「ありがとうございます。明日、また来ますので」
「うん、いってらっしゃい。また明日ね」
 彼は缶コーヒーを受け取ると、ペコリと一礼してから店を出て行った。しんと静まり返った店内に、僕だけが立ち尽くす。
 けれどそこに、いつも僕と一緒に取り残されている空しさは跡形もなく消えていた。数時間後に来る通学ラッシュに控えて、大きく伸びをする。頬が緩む。ほんの些細なことが、嬉しかった。

 明日から僕はきっと彼に、おはようを言えるだろう。












2009/09/30
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