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 【Hello, my dear owner】
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【Hello, my dear owner】


不景気を理由にすることは、いけないことだと分かっている。だけど、これは、これだけは、不景気を理由にしたっていいと思う。だって、俺は俺なりに頑張っていた。頭は悪いし、資格と言えるようなものは、英検は愚か運転免許だって持ってない。それでも、中学卒業後すぐに雇ってくれた工場で3年間必死に働いて、その工場がある日突然潰れた時だって、派遣に登録して何とか働き続けて、社会に出て十数年、俺なりに必死に頑張ってきた。頭が足りない分体を使って、それこそ汗水流して、馬鹿みたいに一生懸命頑張ってきたのだ。本当に、頑張ってきたと、いうのに。

「いや〜、悪いね。明日から君ら来なくていいから。」

然して申し訳なさを感じられない軽い言葉で、今流行りの『派遣切り』なんてものにあってしまって、住んでいた社宅も、備え付けだった布団も、ついでにこっそり餌付けていた社宅の猫も、全部、取り上げられてしまって。ちょっとの貯金と鞄一つ。路頭に放り出されることとなってしまった。


嗚呼、神様はなんと意地悪なことをしてくれるのでしょう。男一人、三十路前。知恵もなければ金もない。おまけに住むところもなくなってしまった俺は、この不幸を誰のせいにすればいいのでしょうか。神様のせいだって大声出して言いたいけれど、きっと俺より不幸にあっている人間は少なからずいるはずだろうし、俺位の不幸で神様のせいにしてしまっては、神様だってかわいそうだ。だから俺は、不景気のせいにしたいと思う。『なんでも不景気のせいにしないのっ!!』って死んだおばあちゃんが言ってたけど、それでもこれは、不景気のせいでいいと思う。十数年、汗水たらして一所懸命働いていた人間が、何の前触れもなく社会から切り捨てられたのも、そのことを誰にも訴えることが出来ない苛立ちも、誰にもぶつけることなどできないのだ。だからせめて、不景気という概念のせいにすることくらい、死んだばあちゃんだって許してくれるだろう。そう、これは不景気のせいだ。決して、俺のせいじゃない。俺が悪い訳じゃないのだ。





「ね、伊織もそう思うでしょ!!?俺が悪い訳じゃないよねっ!!」

玄関前で額に青筋を浮かべ仁王立ちしている伊織に向かって、俺は縋るような目で訴えた。普段は俺よりも数十センチも低い位置にある綺麗な伊織の顔が、今日は遥か上に見える。というのも、現在俺は、伊織の部屋の玄関にて、靴と並んで膝をついている状態。いわゆる、土下座一歩手前の状態をキープしているためだ。
ああ、下から見ても可愛いなぁ、なんて思うものの、それを声に出していう勇気は湧いてこない。
(…怒ってる。)
そう、目の前の伊織は現在、絶賛お怒り中なのだ。


「そうだな、確かに派遣切りされたのはお前が悪い訳じゃない。それは認める、認めてやるよ。」

腕を組んだまま、ジッと冷たい目で此方を見降ろしてくる伊織。ああ、なんてゾクゾクする目で見てくるのだろう…このまま抱きしめちゃいたい。
思わずとろけそうになる表情を、だけど必死でこらえる。此処でふざけた態度をとろうものなら、今日は宿なし確定してしまう。それだけは、絶対に避けたい。うん、あわよくば今晩愛しあいたい、なんて目論んでいるもんだから、そんなヘマだけは絶対にしない。するわけにはいかない。
なんとか同情してもらえるように、縋るような目をずっと保って、氷の女王様の次の御言葉をジッと待つ。女王様は至極ゆっくりと、『でもな』とその言葉を続けた。

「切られてから、もう何か月経つと思ってんだよ。その間、一体お前は何してるんだよ。職探すわけでもない、バイトするわけでもない、日がな一日あっちでブラブラこっちでブラブラ。いつまでニートしてる気だよ。今日こそはっきりさせろ。お前ホント、これからどうする気なんだ。」

冷え切った声で言われた言葉に、思わず変なうめき声が洩れる。
確かに、切られてから早数ヶ月、俺は求職活動らしい行動は一切していない。朝出勤する伊織と一緒に家を出て、適当にフラフラ徘徊して、伊織から恵んでもらった300円でお昼を済ませて、伊織が帰ってくる時間を見計らって伊織のマンションに帰る。勝手に転がり込んでからの数カ月、俺のライフスタイルは確立しつつあった。そう、まるっきりダメな方向へと。

「え…っと、伊織の旦那さんになろうかなー…なんて思ってま」
「働かない旦那なんかいらねぇって、前も言った。」

恐る恐る口にした提案は、あっさりと却下。心なしか、伊織の纏う空気が三割増し冷たくなったように思う。くそぅ…全部不景気のせいだと言っているのに。

確かに、求職活動していないのは俺も悪い。でも、初めからしなかった訳じゃない。してたけど、辞めたんだ。だって、心が折れてしまったんだ。
中卒資格なし免許なしなんて、今の世知辛い世を渡っていくには、裸でナイル川に飛び込むようなものだった。ハローワークに行っても、相手にしてくれる企業はどこもなし。『せめて高卒ならね〜』なんて、今更言うなよ、なことを言われてしまって。『高校か専門学校行ってから、出直して下さい。』と温かみの欠片もない笑顔で言われた時には、やる気ごとポキリと心をへし折られてしまった。生活していくのがギリギリの給料だったんだぞ、失業している今、どこにそんな金があるというのだ。溜息とちょっとの涙と一緒に溢れ出た世間への不満は、決して間違いじゃなかったと思う。そうして俺は、求職をあきらめた。

だけどそんな裏事情を、エリート企業でバリバリ働き中の伊織ちゃんが分かるはずもなく。

「そんな目ぇしてもダメっ!!」

泣きそうになりながらチラリと見上げれば、まるでお母さんみたいに、短く一言怒鳴られて終わった。

「お前さ、真剣に考えろよ。俺のことじゃない。これから困るのはお前なんだぞ。保険にも入ってない、金もないじゃ病気なった時大変だろうし、これから先、それこそジジババになってく過程で、お前はどうやって生活していくんだ。もう27だぞ、もうじき三十路だってくる。そうなってからじゃ、再就職なんてそれこそ夢のまた夢だ。」

ビシッと向けられた指先には只ならぬ力が籠っているようで、今すぐにでも伊織の前から逃げ出したくなる。
いや、伊織から逃げ出したところで俺に行くところなんてないのだから、逃げることなんて出来るはずもないのだけれど。
分かっている。いつまでもこのまま伊織に寄生しているわけにもいかないのだということは、重々分かっているのだ。だけど、俺が中卒なのはどうしようもないし、金がないのだから資格を取ることだって不可能に近いし、世の中にはどうしようもないことがあるのだということも、伊織には分かって欲しい。仕方ないじゃん、俺だって、好きでニートになったわけじゃないんだ。開き直る気はないけどさ、好きで中卒なったわけでもないんだ。嗚呼、不景気なんかじゃなければ、まだなんとかなったかもしれないのに。

考えれば考えるほど、段々涙がにじむのが分かった。やばいぞ凛太郎、仮にも27歳。ニートな時点でまともじゃないけど、まともな大人は人前で泣いちゃいかんだろ。しかも、本当のことを言われたから泣きました、なんて。かっこ悪い、伊織に呆れられちゃう。零れそうになる滴を、何とかこらえようと下を向いたまま必死に目に力を込めた。本当は上向いた方が溢れないんだろうけど、上に向き直った瞬間、伊織にばれちゃう。泣くのは仕方ないにしても、伊織にはそれを見られたくなかった。くだらないけど、男の意地。まぁ伊織にはそんなこと、お見通しみたいだったけれど。

「泣くなよ…俺が悪いことしてる気になるだろうが。別に、追い出そうとか虐めようとか思ってるわけじゃねぇから。ただ、本当に心配なんだって、お前ホントなんも考えてなさそうだし。」

はぁ、と短い溜息の後に、ほら、と差し出されるポケットティッシュ。『伊織ぃっ.…』と鼻水交じりの声で名前を呼べば、『何だよ』と面倒くさそうな返事。もう泣いてることなんてバレてるのだから、そんなことしても仕方ないのだけれど、長いトレーナーの袖で涙を拭ってから、ティシュを受け取り鼻をかんだ。ああ、ティッシュまで優しい。高級な肌触りが、何故かまた涙を誘う。
仕方ないじゃないか、人間弱っているときは、何から何まで優しさに見えてしまうのだから。

「俺ね、ちゃんと考えてるんだよ…ケド、仕事ないんだもんっ…どうしようも、なかったんだもんっ…。」

チーンと音を立てて再度鼻をかみながら伊織を見る。俺が泣いたせいで若干優しさを取り戻したらしい伊織の表情は、何とも複雑な色をしていた。

「それでも、どうにかしなきゃなんねーだろうが。犬猫じゃないんだ。俺だって、いつまでもお前養ってやれねぇよ。」

綺麗に整えられた黒髪をガシガシと掻きながら言う声は、先程と同じのはずなのに優しさが感じられる。氷の女王様の氷が、幾分か溶けたみたいだった。

「でもさ、俺、ずっと伊織と居たいんだよ。ずっと伊織の近くに居たい。犬猫と同じ扱いでいいからさ、俺、傍に置いてよ。伊織の傍にいさせてよっ…。」

今がチャンス、なんて。顔には出さないけれど内心で思い、ここぞとばかりに甘えた声で言ってみる。伊織と居たいのは本当だし、嘘なんて一つもついていない。ただ、空気を呼んだ台詞廻しを、それくらいの技法を使ったって罰は当たらないでしょう。ちょっとくらい、伊織の良心に呼びかけることくらい。


困ったように眉根を寄せた伊織は、しばらくの間無言を貫く。それをジッと、視線一つそらさずに見守る俺は、宛ら捨てられそうなワンちゃんの気分。いや、本当今まさに、伊織に捨てられるか否かの瀬戸際だし。
思い、届け!!なんて、馬鹿みたいに祈りながら、じっとその目を見つめ続けた。


やがて、折れたのはやっぱり伊織の方で。

「せめて、バイトはしろよ。馬鹿犬。」

溜息と一緒にそう吐き捨てると、クルリと後ろを向いて室内に向かっていく。その背中には、『仕方ない奴だな』という感情がにじみ出ていて。座ったままその背中を見詰めて、今度は嬉し涙が溢れてくるのを感じた。

伊織なら捨てることはないだろうと信じていた、信じていたけどやっぱり安心したし、どうしようもなく嬉しかった。普段ツンツンしてるくせに、本当は誰よりも優しくて誰よりも愛おしくて…ああ、本当もう、伊織大好きすぎるっ…!!伊織最高、本当に愛してるっ…!!!

「何してんだよ、早く入ってこい馬鹿。」

感涙を浮かべて熱い視線を送り続けていた背中が、リビング直前の扉の前で此方に向き直る。その顔には、先程までは見られなかった、はにかんだような笑顔が浮かんでいて。

(やばいっ…可愛いよ伊織、かわいすぎるっ…!!)

危うく鼻から出血をしそうになりつつも、せめて犬らしく、無い尻尾を振りながら殊更に明るく、俺は鳴いてみた。

「わんっ!!」

ああ、痛いものを見るような、そんな視線も愛してる。間違いなく、俺は日本一幸せな犬になれるだろう。


end







2010/06/29
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