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失う
by reiyou
R指定:無し
キーワード:赤ちゃんと僕
あらすじ:榎木家の父、春美パパのお話です。
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白い息を切らしながら朝霧の公園に足を速める。
今日も、もしかしたら会えるかもしれない。
そんな直感にも似た感覚を抱きながら今日も走る。
青いベンチまであとどれくらいなのだろう。
「お、はよう」
―…お早う春美さん。
彼女は霧の中で青いベンチに腰掛けると、いつもと変わらず長い髪を揺らした。
隣に座ると、膝に置いた手をそっとまるめる。
「君は、あれからどうしてる?」
―…私?相変わらず上から赤い屋根を見下ろした生活が続いてるわ。
「そう、子供達は今年でいくつになったと思う?」
―…私達が出合った年よりうんとおおきくなったんでしょ?
「笑っちゃうな、俺たちもついにじいさん、ばあさんだもん」
―…笑えないわよ、春美さん。私なんてあれから一歳だって年を重ねていないわ。
「だから俺は君に会いにきてしまうのかな…君はいつだってあの日のままだ」
―…うふふ。私の約束はもう時効よ。
「約束?はて、何か契約を交わした事があったかな」
―…そうやってまたはぐらかして。
「君こそ。そうやって屈託無く笑うもんだから俺はいままで浮気一つできなんだ」
―…。
「嘘だよ、俺は今だって君しか見えていない。現にこうやって毎朝ここに足を向けてしまう」
―…あのね、春美さん。私明日からもうここに来ないから。
「何故?」
―…だっていつまでも私があなたをここで待ってたら、あなたはいつだってここの事ばかりかんがえてしまうでしょ?だからやめるの。
「嘘だ、そうやって精一杯言ってる事だって俺にはお見通しだよ」
―…敵わないわね、あなたはそうやって私をすべて汲み取ってしまうの。
「待って…!まだ帰らないでくれ…!」
―…そろそろ時間なの。ごめんね。
彼女は薄っすらと霧を纏うと、青に溶けるように「またね」と俺の前から姿を消した。
指先の煙が風にさらわれる様に、空に交じり合う様に。
あの日の君を亡くした時に一度だけ吸ったシガレットの煙と同じ喪失感だけを指先に残して。
咄嗟に差し出した手に触れる温度だけがあの日と唯一違っていた。
「パパ!気がついた?良かったぁ…!」
「ここ…は…?」
目を見開くと、そこは見慣れない部屋で、俺はベッドサイドに並んだ昔から良く知る人間達に顔を覗かれていたんだ。
皆並んで赤い鼻をしているのだから面白い。
「一週間も眠ったままだったんだよ?」
円陣の真ん中からひょっこり顔を出した次男の実は今年の春から欧米留学をしていた。あのおねしょの常習犯が今年20歳になる。
通勤電車が横転したのだ。原因はスピードの出しすぎで起こった事故。そこに私は乗っていて、どうやら巻き込まれたらしかった。
「お兄ちゃん!パパ意識が戻ったよ!」
実は、病室の花瓶を片手に部屋に入ってくる兄に声をかけると、俺と目が合った瞬間に、拓也は喉元を振るわせた。
「パパ…」
へなへなと腰からその場に座り込んだ拓也に俺は、また付き纏う運命を憎ませてしまう所だったと、少し苦笑いした。
俺は長い長い夢を見ていたんだ。
夢の中で君が「時効よ」と俺に笑った顔を思い出していた。
瞼をゆるゆると閉じれば、古めかしい記憶が呼び起こされる。
そうだった。
約束って“君が死んでも俺は君だけを愛したい”って若い勢いに任せて口にした、こっ恥ずかしい俺のくどき文句だった事を。
それが時効か。
なぜかその時俺の心に無償に寂しさが吹き抜けた。
「パパ?…ほら見える?」
「……あ…れ…?」
円陣に並んだ皆の視線がそちらに動き、一斉に頬が緩んでいくのが見えた。
「ほーら…」
その時、拓也の胸に抱かれたものが枕元に寄せられたんだ。
「おじいちゃんですよー…」
新しい命の息吹を。
この夢はやがて醒めるのだろうか。あるいは新しい現実を創るのだろうか。
少し楽しみであったりする。
「…いつ?」
「今日だよ」
時効になっても記憶の中の由加子はまだ俺の隣にいるようだ。
2008/03/08
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