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絶え間なく降り注ぐもの
by textimage
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キーワード:鋼の錬金術師 鋼 ハガレン ロイ
あらすじ:アニメ第25話『別れの儀式』改変/マスタング回想
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錬金術とは、「もの」の成り立ちを理解し、分解し、別のものへと再構築する過程である。
故に、何かを得るためには同等の代価が必要となる…それが等価交換の原則だ。
錬金術の使用にあたり、禁じられている行為が二つ。
第一に、黄金を練成すること。
第二に、人体を練成すること。
特に人体錬成は、錬金術における最大の禁忌とされている。
…とはいえ、人体の構成物質などその気になれば誰にでも揃えられる代物。
規律に従うか否か、それは術者のモラルに委ねられているのが現状だ。
人体を構成する物質
・ 水 … 35リットル
・炭 素… 20キログラム
・アンモニア…4リットル
・石 灰… 1.5キログラム
・リ ン…800グラム
・塩 分…250グラム
・硝 石…100グラム
・硫 黄… 80グラム
・フッ素… 7.5グラム
・ 鉄 … 5グラム
・ケイ素… 3グラム
・その他少量の15の元素…
突然の落下感に身体がびくりと跳ねる。はずみで膝の上に開いてあった本が滑り落ちた。
ことのほか派手な音に、再び体が跳ねて我に返る。
ぼんやりとした頭で見れば、右手に握られているのはどうもペンのようだ。
さらに横罫の小さなノート…に、乱雑な文字が書きつけられている。もちろん私の筆跡で。
その末尾が解読不能な程激しく乱れていることから、自分が途中で眠ってしまったのだとようやく悟る。
「――…」
無感動にペンを手放した。すでに昨夜の熱は冷めている。
重たい身体を起こして背もたれに委ねると、寝ている間に身体に溜まった歪みがあちこちで悲鳴を上げた。
ついでに頭が痛むのは、窓から差し込む光の刺激が強すぎるせいだろうか。
目を覆って溜息をつく。
「…水だ…」
掠れた声で注文するも、自分一人が暮らすアパートに、応える者などいるはずもなく。
のろのろと椅子を引いて立ち上がる。
自分の世話は自分でする…それが独り者の宿命だ。
ちょうどその時、計ったように呼び鈴が鳴り。
ドアを開けると、空気に乗ってふわりと甘い香りが鼻腔を擽った。
「彼女に焼かせたアップルパイだ。欲しいか?」
上機嫌で持参したバスケットを掲げて見せるのは、士官学校時代からの友人、ヒューズ。
部屋に通すと、彼は俄かに表情を硬くし、絶句した。
「ロイ…」
無理もない。
部屋には人体錬成のために揃えた諸々が投げ出されたままなのだから。
イシュヴァールから戻って間もない頃、私は死に焦がれていた。
戦場では粛清の名の下に、敵兵ばかりか無抵抗の農民、女子供に至るまで虐殺が行われ、命令に従う形で我々はそれに加担していった。
不穏分子を廃除し、国に平和と安寧を…戦争の持つご立派な大義名分だ。
しかし現実にあるのは鎮圧を免罪符にした謂われのない破壊行為。
適応できない者は、そのジレンマを抱えて精神を擦り減らしていった。
中には逃げ出す者、発狂、自殺する者もいたように思う。
私も、いつしか漠然と死を望むようになっていた。
…が、それでも実際に死ぬには至らず。
大総統から授かった勲章を胸に戦地を離れてからは、仕事の傍ら、密かにアパートで禁忌とされる人体錬成の研究をするのが精一杯の贖罪であり、自傷行為だった。
そこへヒューズが訪ねて来た。
私に取っては、恐れながらも待ち望んだ変化の時。
いつかこんな日が来ると思っていた。
「食って驚けよ。彼女の料理は天下一品だぜ」
ふんわりと甘い香りを携えて部屋に入ってきた彼は、その有様に絶句した。
無理もない。
術書や書きかけの錬成陣、化学物質の瓶や、動物の血液を搾ったバケツ…その他人体錬成の研究で揃えた諸々が投げ出されたままだ。
錬金術を使って何か良からぬ事を企んでいる…その程度は素人目にもわかるだろう。
他人事のように考えながらヒューズの横顔を眺めていると、彼が鋭い眼光でこちらを振り返った。
言い分があるなら聞いてやる、静かな怒りを孕んだ目が促す。
「見ての通りだ。禁忌…って奴だな」
開き直って薄笑いを浮かべると、ヒューズは弾かれたように私の胸倉を掴んだ。
胸に当たる拳から、細かい震えが伝わってくる。
「俺に錬金術は分からん…だが、一つだけ知っている事がある」
「禁忌を侵した者は…」噛み付く勢いで低く唸るその肩を、突き放した。
「心配するな、何もしちゃいない」
それでも翠の双眸は油断なく私を見据え、詰め寄る。
「――だが、試すつもりだった…?」
下手な事を言えば爆発しそうだ。
さてどう切り抜けるか…考えを巡らすと自嘲が口元に滲み出た。
「たくさん死んだ…いや、殺したからな…」
錬金術師になって国に尽くしたい…そう彼に青臭い夢を語った時代には考えもつかなかった。
私が手にした錬金術は、人の命を奪うもの。
「それが戦争だ」
ヒューズは反論する。
敵を殺すのが嫌なら彼同様後方勤務を選ぶべきだった、前線を選んだのは私だと。
なるほど。
首を縦横どちらに振るべきか迷い、肩を竦めた。
確かに、彼と私は立場が違う。
国のためにと国家錬金術師を志し、気付いた時には引き返せない場所にいた。
国家錬金術師は言わば、戦場で使用される武器・弾薬や医療器具と同じだ。
各々、明確な目的とそれに合った性能を備えている。無論私も。
ただ本当の武器・弾薬と違うのは、感情を持つ生身の人間である、という点。
戦場では仲間の死に立ち会うこともある。そんな時。
大量に人を殺す能力はある。
だが救う技術がない。
奪うばかりで、与えられない無力感が私を襲った。
そういう役回りだと、言ってしまえばそれだけなのだが。
それでも、命令を遂行する度戦果を上げる毎に、その裏で取りこぼした命の分だけ己の無能さを思い知り、空しさを募らせてきたのだ。
「…それで、何人かでもこの世に呼び戻せば救われるとでも思ったのか?」
「…どうかな」
核心に迫る寸前で逃げを打った私を、ヒューズの拳が引き戻した。
頬骨を中心に熱い痺れに似た痛みが膨れ、口中に鉄の味が広がる。中を切ったか。
本気で殴った訳じゃなさそうだが、彼自身はどこまでも本気なんだろう。
「にわか勉強で成功する程、禁忌ってのは容易いことなのか」
答えられない。
人を作るというのは神の領域だ。
過去に成功した記録はなく、手を出せば身を滅ぼすとさえ言われている。
「ただ死にたかっただけか?それならもっと簡単な方法がある…」
ヒューズは着実に枝葉を切り、根幹に迫ってくる。
それは、恐らく彼が立てたであろう仮説が的を外れていないことの証明であり…。
私は観念した。
「結局、自分の命惜しさに試す事もできなかった…――」
私の未熟な腕では、人の命は奪えても、救うことはできない。
現実から逃れるために死を望み、自殺の手段として人体錬成に手を染めるも、より手軽で確実な方法には手を出さない矛盾。
その陰には、ちゃっかり自己犠牲を模したSOSを出し、気付いてくれる誰かを待っている要領のよさがある…。
卑怯者。
「――俺は結局、そういう人間だ」
苦い息とともに言葉を吐き出した。
ヒューズの表情は分からない、見るのが怖くて俯いてしまった。
しかしその分だけ、次の言葉を待つ時間は、やたらに長く感じられた。まるで刑の宣告を受ける罪人だ。
「……誰でもそうだ。」
ヒューズは静かに言った。
その言葉を、私は以前にも聞いたことがある。
かの地イシュヴァールで、人を殺す事に対する迷いを断ち切れずにいた私に、彼が掛けた言葉。彼は私の名を呼び、心まで殺す必要はない、私は私のままでいいのだと…繰り返した。
やっと気付く。
彼は不甲斐ない私を責めるためでなく、知った上で受け入れるため、許すために真実を欲していたのだと。
ふと、彼に話してみたくなった。
このちっぽけな命を、少しはマシに使う道がある。
「マース、俺は決めた。」
理想と現実のジレンマを解消する方法――
「俺は大総統になる。この国の在り方を変える。」
新しい贖罪。
それは単純だけれど、途方もない夢物語。
酒の席で仲間が語った同様の話を、世迷い言と一笑に付した事もある。
私は彼に背を向けた。
しかし。
「そんなら俺は、お前の下について、お前を上まで押し上げる。」
振り返るとそこにはヒューズの微笑みがあった。
2009/01/26
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