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[1] ポエトリーワールド
 広田修

 「詩の定義について」で、詩は必要十分条件で定義することはできないと書きました。それでは、ここに何らかのテクストがある場合、それを詩だと決めているもの、それを詩ではないと決めているものはいったい何なのでしょう。
 ここで「アートワールド」という考え方を紹介します。直訳すれば「芸術世界」です。これは、アーサー・ダントーが1964年に論文「アートワールド」で提唱した概念です。
 ダントーは分析美学者であり、分析美学とは、美学における言語学的混乱を論理的・科学的・合理的に分析し、美学を明晰にする立場です。例えば、美学で用いられる「感情」という言葉がどういう意味を持つのかなどを分析して、美学の明晰化を図ります。「感情」は単なる印象の意味を持つこともあれば、行為の衝動の意味を持つこともある。そのように、美学で用いられる概念を分析して美学を明晰化するのです。ところで美学の中心概念は「芸術」です。だから、分析美学の分析の対象は当然「芸術」という概念に向かいます。芸術とは何か。何が或る物を芸術と決定するか。
 ダントーは、芸術を決めるのは、芸術の見え方ではない、と主張します。或る物を芸術であると決めるのは、芸術理論と作品解釈と歴史的文脈だとします。或る物は、芸術理論と歴史的文脈に照らし合わされて、現実の世界から離れて芸術の世界、アートワールドに入るとします。
 この考え方を詩を具体例にして敷衍しましょう。或るテクストは、それが理論や歴史的文脈に照らし合わされて詩になる。つまり詩の世界「ポエトリーワールド」に入るのです。

さまよひくれば秋ぐさの
一つのこりて咲きにけり
おもかげ見えてなつかしく
手折ればくるし 花ちりぬ

大正十年に刊行された佐藤春夫の『殉情詩集』所収の「断章」です。大正末期には主に民衆詩派のこのような人道主義的民衆讃美の詩が書かれました。一方で、その頃、平戸廉吉によって次のような詩が書かれました。

B●●●声●●声●塔●●●●●恋●人(「合奏」――大正十一年二月号「炬火」)

民衆詩派からすれば、平戸の詩は詩ではないと思われたかもしれません。ですが、平戸には彼なりの詩についての理論がありました。(平戸は自分の未来主義を理論ではないと言っていますが、それは理論ではないという理論です。)つまり、世界中の病的頽廃を突き破るためには過去幾世紀も続けて来たような姑息な療法では間に合わない。「直情」が必要である。引用部はその「直情主義」に基づいて書かれた詩なのです。また、平戸は「アナロジスム」という理論も持っていました。アナロジスムとは、実在に対する感覚と内潜する意識との合一を図る立場です。要は、平戸の未来主義の詩は彼独特の詩の理論に基づいており、その理論に合致するものとして、詩の世界「ポエトリーワールド」の中に入り、詩となったのです。
 詩の理論は、科学の理論と違って、先行する理論を排斥しません。民衆詩派の理論と平戸の理論は矛盾することはあっても、平戸の理論が民衆詩派の理論を排斥することはないのです。このように、或る物を詩とする理論というものは互いに併存しながら増えていき、それに従って、詩であるもの、つまり「ポエトリーワールド」の構成員は増えていきます。
 さて、ここでアートワールド論の別の展開を見てみましょう。ジョージ・ディッキーは、アートワールドを、芸術を取り巻く実在の社会制度、つまり美術界に置き換えました。ディッキーによると、或る物を芸術として決定するのは、理論や歴史的文脈ではなく、実在の芸術家・学芸員・批評家・美術史家などによる地位の授与であるとします。芸術に関係する人たちが、或る作品を芸術として評価されるべき候補として要求し、それが制度により認められると、その作品は芸術になるとするのです。
 ディッキーの観点からアートワールド、そしてポエトリーワールドを見た場合も、平戸の詩がどのようにして詩として認められていったかが説明できます。平戸の詩は、彼の死後、昭和六年、川路柳虹、萩原恭次郎、山崎泰雄、神原泰の共編で『平戸廉吉詩集』として刊行されました。つまり、平戸は、詩の世界の住人として、自らのテクストを、詩として評価されるべき候補として要求し、それは実際に、川路らによる詩集刊行として、それが詩であることが詩の制度によって承認されたわけです。
 ダントーのアートワールドは理論・言語であり、ディッキーのアートワールドは実在の制度です。アートワールドに対応するものとして、ポエトリーワールドというものを考えることができます。何が詩であるかは、それがポエトリーワールドに入っているか(ダントー)、ポエトリーワールドによって承認されるか(ディッキー)によって決まります。平戸の詩が、当時革新的であっても詩として認められたのは、それがポエトリーワールドへの参入(理論による正当化)、ポエトリーワールドによる承認(制度による地位付与)を経たからです。

参考文献
大岡信『昭和詩史』(思潮社、2005年)
金悠美『美学と現代美術の距離』(東信堂、2004年)


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