だいしゅきホールド!
疑似だいしゅき体験

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カキコミ数371件
[352] By パパ ¶ 2009/5/05/24

話しを戻すようで申し訳ありませんが。
「銀河英雄伝説」って、田中芳樹氏なんですね。
ワタクシ、「アルスラーン戦記」・「マヴァール年代記」は、読んでいたのにナゼカ?「銀英伝」はスルーしちゃってました……   (。-`ω-)ナゼダロウ??早速ゲットしてまいります。    

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[351] By パパ ¶ 2009/5/05/23

侍マーケットさん、木人さん、お疲れ様です。
 
バルバロッサ…運命の6月22日まで1ケ月を切りましたね当時の今頃は、物資の集積、運搬、部隊の再編に移動、兵器の配備、整備などを極力隠密裡に進めていたのでしょうね。
対英国戦の陽動作戦だと言う触れ込みで一部は、おおっぴらに行われたそうですが、他の枢軸国部隊も合わせて約400万の地上軍が展開したのですから、大変な騒ぎだったのでしょうね。(。-`ω-)ンー  
PS、靖国神社に奉納されているのは、八九式15加デス。 
第三帝国、帝国議会
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[350] By 侍マーケット 2009/5/05/23

>>349
フランス侵攻についてはあっさり終わらせますはやくバルバロッサにいかねば
しかし、その前に対イギリス戦があります…!
イギリス軍はフランスで破れ、器材を置いて命からがらイギリス本土へ逃げ帰ります。その時のイギリス陸軍の軍備は、それはそれは心許無いものでした。武器の不足を補うために槍すら用意したりしました。
戦争を避けるために宥和政策をもってしてドイツに譲歩を重ね、挙句裏切られてフランスで大敗したイギリス…。しかし、平和主義では平和を守れないと悟ったイギリスは、武器を手にするのも早かったのです

続く

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[349] By 侍マーケット 2009/5/05/23

>>348
この作戦がズバリ当たります。連合軍の主力は包囲されてしまいます。
聞くところによると、ドイツがベルギーに侵攻した時、その知らせを聞いた連合軍の参謀は小躍りして喜んだそうです。まんまと引っ掛かってしまったのです。
結局、欧州の大国フランスは一か月ほどで降伏してしまいました。

結果からみれば、連合軍はもっと早くドイツのポーランド侵攻時にドイツ国内に攻めていれば良かったのでしょう。少なくとも、マジノラインから撃って出ていたら、結果は違ったかも知れません。
しかし、第一次大戦の戦訓からの防御を軸にした作戦と平和主義とで、侵攻する体制を作っていませんでした。

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[348] By 侍マーケット 2009/5/05/23

>>347
もともと、ドイツもシュリーフェンプランを踏襲した作戦計画を実行するはずでした。しかし、その作戦計画が漏れた可能性があったため計画を変更しました。
すなわち、ベルギー等の低地諸国に侵攻する軍(囮)、マジノラインの前面に布陣する軍(囮)、ベルギー国境に布陣した英仏連合軍とマジノラインとの間にある森(アルデンヌの森)を抜けて電撃戦を行う軍(本命)に分けて侵攻したのです(まちがってないよね?)。
そして、アルデンヌの森には英仏軍の兵力が少なかったのです。

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[347] By 侍マーケット 2009/5/05/22

>>346
宣戦布告からドイツ軍のフランス侵攻までは数か月あり、その間にドイツ軍はノルウェーやデンマークに侵攻しますが、めんどいので割愛します(`・ω・´)

さて、なぜ戦闘が起きなかったかと言えば、前も書いたと思いますが、英仏連合軍は防御を軸とした戦術を立てていたためでした。
英仏は、ドイツが第一次大戦で採用したシュリーフェンプランの様に、ベルギーなどの低地諸国から攻めて来るだろうと予測し、ベルギーとの国境沿いに厚く兵力を配置して待ち構えていたのでした。
防御の優位性をもって敵を迎え撃つ戦術は、待ち構えているところに敵が来なければどうしようもありません。そこで、待ち構えているところに来ざるを得ないように、独仏国境に要塞を築いていました(マジノライン)。英仏はこれで間違いなく勝てると思っていました。

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[346] By 侍マーケット 2009/5/05/22

え〜、お酒を飲んで調子付いてしまったので、バルバロッサの続きを書きます
   イクヨー!!  
  ∧Ξ]_ 
 ( ゚д゚),_,
/⊃ニ∩= ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ドイツのポーランド侵攻で火ぶたを切った第二次大戦でしたが、しばらくドイツと英仏の間に戦闘はありませんでした。たまに偵察機が飛んで来るだけです。そのため、当初この戦争はフォウニ・ウォー(奇妙な戦争)と呼ばれます。
ところで、ヒトラーはポーランド侵攻で英仏は宣戦布告してこないと踏んでいた、と言われます。一方、ドイツは公共事業や再軍備に必要な金を主に英仏に国債を買ってもらってまかなっており、挙句大赤字になり返金の目処が立たなかったため、英仏の宣戦布告は渡りに船だった(つまり、踏み倒せる)とも言われます。
どちらが正しいのかは分かりません。どちらも正しいのかも知れません。

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[345] By 侍マーケット 2009/5/05/22

>>344
とはいえ、繰り返しになりますが、民主主義ってメンドクサイのも事実です。ただ、それ以外のやり方があまりにも悪いのです。
この点について、第二次大戦時のイギリスの首相、チャーチルはこう述べています。

「この世界に民主主義しかないとしたら、民主主義は最悪のものだ」と。




チャーチルの言葉をもってきて、何となく締めが良い様に体裁を整えたので、脱線を重ねた「ワイマール憲法について」はお終いにします(ヲイ

稚拙な文ですいません
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[344] By 侍マーケット 2009/5/05/22

>>343
どうです?民主主義って面倒でしょう?いや、話の長い自分もなかなかにウゼェわけですが…(´Д`;)
面倒だから、さっさと問題解決しようと革命とかクーデターなんかで独裁制へと移ると、とんでもない弊害が起ります。
民主主義国家において民主主義を守るとは、ある意味、こういったメンドクセェことをする、すなわち(面倒と思える)手続きを守ることに他なりません。少なくとも、現在の民主主義国家では、私の知る限り(知ってる範囲がかなり狭いんですが)、民意があれば何でもできる、と言ったようなことはできません。
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[343] By 侍マーケット 2009/5/05/22

>>342
間接民主制では、ここでようやくものが決まります。
…そうです、かなりまどろっこしいのです。めんどくさいのです。
しかし、これでヒトラーが権力を握ったドイツの時のような、民主主義の加熱による弊害を防ぐことができるのです。
ナチスドイツでは、法律や、憲法さえも、民意が変えてしまいました。その結果、独裁者ヒトラーが誕生しました。独裁者となったヒトラーは、反対する者をことごとく弾圧しました。民主制から独裁制への転換はこうして行われたわけです。
…そう、「民意」とは、常に正しいわけではないのです。
では、一体何が正しいのか?それを見出だすためには、自由な議論を通じて発見する他ありません。その議論の場として、議会が必要なのです。反対者を粛清する独裁制では、その議論すら無理なのです…。
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