10/13 00:22
「いきるということ」
ガラス玉
前に、テレビで組まれた番組で、社会に出て、自分がどうして生きていきたいのか解らなくなった男性が、アメリカのカウボーイ達と過ごすものがやってました。
決められた期間、彼らと過ごし、答えを見つけだす、という感じな内容でした。
その番組ではもともとカウボーイの家系に産まれた人達の中に、一人だけ、サラリーマンからカウボーイに転職した人がいました。
彼が言うには
『何のために生きるんだ? 自分のためだろう。』
カウボーイは、その日暮らしの稼ぎなのだそう。
前と比べたら、前の方が、金銭的には楽にいきられる。
だけど、息苦しいのだと言っていました。
そして、さっきの言葉を投げかけたんです。
彼はサラリーマンを辞めた事に後悔は微塵もなく、カウボーイを撰んでよかったと、心から思う。
そう言ってました。
カウボーイさん達は、「生きてる」か?と聞かれたら、『生きてるぜ!』と答えるんだろうなぁ…。
誰もが、心のままに生きたいと願うけど、それは叶い難い世の中で。
じゃあ、どうしたらいいのか考えたら、やっぱり、《後悔》だけはしちゃいけないんじゃないかと思います。
《後悔》しないためにはどうしたらいいのか。
その《選択》を撰んだ時には持っていなかったものを、数える事で、どんなに小さくても得たものとか、それをちゃんと得られた自分を、誇る事じゃないかな。
《選択》をしなければ得られたものも、得られた自分があったはずだとしても、逆にいえば、選ばなかった方を撰んだとして、やっぱり同じ事を考えるだろうから。
だとしたら、やっぱり、悩んで、迷って、それでも撰んだ先にある、小さくても今得たものの方が、尊いはずだから。
撰んだ時の自分に、誇れるものが、あるはずなんだ。
『ちっぽけだけど、ちゃんと、掴めたよ!』
って。
それが見つけられたら、いっこ、『生きてる』積み重ねのひとつになるんじゃないかと、思います。
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