投稿日03/31 00:13
「いつのまに(了)」
ジェルガヒミカ
10年ひと昔といいます。
人々の生活を便利にする為、補助的役割を担う科学が今なお発達しています。その科学技術が景気を呼び込むと同時にやがて人間の文化、生活スタイルすらも変えてしまうに至りました。世界不況といえども今でも様々な分野に多くの可能性がありますし、今も世界のどこかで誰かが可能性を求め挑戦しているのでしょう。しかし社会に色々な角度で光が射せばその分だけ影も生まれ易くあります。その影が人の心を蝕み、その影は光さえ射せば成長する枝葉の成長を止めてしまい、場合によってはカビを繁殖させ見えない部分に病を患わせている事もありえます。
街を行く路線バスや電車からは話し声が消え、雑誌や新聞を読む人が消え、ケータイ画面を眺める人が増えました。街で子供達を見て気遣いでも声をかける人が減り、声をかける=変質者という図式が普通だなんて、世の中は変わりました。
過去では当たり前だった事が今は見事に崩れ去り、時代は立ち止まる事なく誰の呼び掛けにも立ち止まる事はなく進みます。今、老いも若きも突き付けられている個の時代自体が悪いとは思いません。これは時代がいつの頃からかそれを受け入れる方向へと進み始めたのです。勿論、それは人がそうしてきたからにすぎないのですが。今この社会に順応が出来ず膝を抱えてしゃがみ込む人。後ろを向いてしまう人だっています。誰でもそうなる可能性があると知っていて、いや知っているからこそ、人の事など構ってられないのか。そうな、明かにそれこそ様々な形で[社会からこぼれる人]が今は増えています。人が人でいられるのは社会に貢献しているからよりも、誰かと心からの繋がりがあるからだと思います。困っている人に対して直接手助けしてくれる人、又は法律が整備されるならそれにこした事はありません。しかし、行政は常に後手まわりでしかなく、困っている誰かを助けようとしてくれる隣人も居ないのが社会の常識となりつつあるのが今なのです。
全てがそうだとはいいませんが、果たしてこんな環境下で育っていく子供達が将来の社会を日本を背負う時代が来た時に世の中は今とどう変わっているのでしょう。
某野球監督が雑誌のインタビューで言った言葉をふと思い出しました。
記者が監督にシーズンの意気込みを聞くと。
「信頼はしているが期待はしてない。」無下に言い捨てる監督。
その後、記者の言葉が歯痒かったのか記者の言葉の途中に遮るようにして「結果があらゆる意味で全てだから、後は受け入れるだけ‥。」と吐き捨てていた。
そうか、後は覚悟だけか。
終わり。
編集
△このコラムのTOPへ戻る
▲コミュに民のトップへ
小瓶に手紙を入れて海に流すようなコミュニティ
