投稿日12/05 11:34
「アリもキリギリスも変わらないのか?」
ジェルガ ヒミカ
こんにちは。
前回のタイトルなんですけど少し間違ってるのに掲載した後で気付き訂正しようにも、パスワードを設定してなかったから訂正が出来ない事が分かり布団の中でもんどりうちながら、ちょっと凹んでました。 前回の正確なタイトルは「新人シャンソン歌手新春シャンソンショー」でした。
まぁ、今更どうでもいい話なんですけどねぇ。
先月の二週間ぐらいなんですけど、深夜の送迎のバイトをしてました。
親類のおじさんが派遣会社をやっていて人が居ないから二週間の間でいいから社員の工場への送迎のバイトをなかば押し付けられるようにやってました。
世間では派遣切りが話題になってますが、おじさんの会社も話題の枠のど真ん中にあるようで、口を開けば愚痴とため息ばかり。「ヒミカちゃーん、おじさんこのまんまいったら首くくるロープも買えないよ。その時はプレゼントしてくれよー。」
「分かったよ。その時はちゃんとプレゼントらしくピンクのロープを買ってあげるからね。」と、茶化して喝を入れてあげましたが、冗談でも言ってないと息が詰まるぐらいに苦しい日々なんでしょう、多分。バイト代はあてにならないなぁ。と考えてたら私まで暗くなりじわじわと負のオーラが私を包み込もうと…まっ負けるかぁ〜!っていうか、巻き込まれるもんかぁ!ってバリアを張ってバイトを始める事にしました。
おじさんの会社は、日本人が少なくて、主にブラジル人とインドネシア人が派遣として様々な場所の工場で働いていてまして、私は2社、時々3社の工場へ社員の夜勤入れの送迎を任せられました。
私が担当したのは、主にブラジル人でして、彼等は男性も女性もとにかく陽気で騒がしい!送り迎えの車の中では唄ったり、おしゃべりしたり、ケータイで話してたりと、車内の後部席では聞き慣れないポルトガル語が飛びまくってて、たまにおまえら仕事中に酒飲んでんじゃないのか?って疑ってしまうぐらいに騒がしい。
でも、そんな陽気な彼等も、11月いっぱいで今の工場を解雇されるらしい。片言の日本語で「僕達、もう仕事ないよ」って教えてくれた。でもそんな彼等の顔には悲観な表情はなく、仕事はないけどどうにかなるさ的な諦めた先にたどり着いたのか?爽やかな笑顔で私によく話してくれた。
中には「仕事ないから私と結婚してくださーい」って笑顔でトンチンカンな事を言い出す人もいたりと、
国民性の違いなんだろうなぁ〜って思えた。
ブラジル人が日本人は簡単に自殺なんかして馬鹿だなぁー。って言ってたけど、別に皆が皆短絡的に自殺を選ぶわけじゃないと思うのだけど、と彼等に言ったけどそれでも彼等は「日本人深く考えすぎだよー」って言ってた。
そーなの?だって生活がかかってんだから、深くも考えちゃうのが当たり前だと思うんだけどな。
彼等、ブラジル人は日本の裏側にある国からわざわざ此処にやって来て祖国に残した家族の為に、一人暮らしをしながら毎月仕送りをするという決断は私だったら悩んで悩んで悩み抜いた結果に出る答のような気がするんだけど、チャンスがあれば、ごくごく自然な事らしいってのが彼等の会話を聞いてて分かった。
日本での手取り20万ぐらいあればブラジルなら普通に一年は暮らせるらしい。それなら家族の将来や今の為に働ける自分が何年間か日本で頑張るって選択肢は、最近の日本人に薄れた家族愛が彼等には今も当然に深く根付いてるんだなぁって思った。
先月の30日。彼等を送迎する最後の日、私のバイト最後の日でもあったんだけど、その日も彼等は陽気にしてたから私が「来月からどうするか決まった?」って聞くとほとんどの人間が国に帰る事に決めたみたいだった。
只、今はブラジルに帰る人間が多いらしくて、今はキャンセル待ちの人間がかなり多く、いつ帰れるかは未定のようだ。
今、こちらで働いてる人達の中には10年近く国に帰ってない人もいるようで今回久しぶりに国に帰るので、みんな家族に会えるのが楽しみのようだった。
車から降りる時一人のブラジル人の男性が「また日本景気が良くなったら来るよ」と笑顔を見せて車から降りて薄汚れた古いアパートへと歩いて行った。
彼等が久しぶりに妻や夫や子供達に囲まれて楽しく一家だんらんを過ごすのであろうと想像したら、私の心の中も少し暖かくなった。
いつまで続くのかわからないこの社会は厳しくなる一方だけれど、支えあい互いに信じあえる存在さえいれば、苦しくてもきっと生きていけると思う。
とにかく、悲観にならず選択肢を見つけて頑張るしかないよね。
今から日本人もブラジル人のような考え方を取り入れた生き方をしたらいいのかも。
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