投稿日06/15 09:20

「陽気な狂気」
ひよこ

それなりの毎日だ、良くも悪くもないけど、幸い、僕はかなりPOSITIVEに生きているほうだよ。
僕は馬鹿みたいに重苦しいことを書きたいわけじゃない。暗くて暗くて、思わず死にたいなんて思ってる奴には、思わず共感を得てしまうようなことはこれっぽっちも書きたくないんだ。ああゆうのは読んでて本当にまいっちゃうんだよ、ここまで言ってくれるとさ、思わず死にたいなんて思っているやつは、「やっと決心がついた」なんて思っちゃったりなんかして、ああ本当に困ったね、どうしてくれるんだい、そう思うわけだ。

でも思うに、そんな風に死ぬことを間近に考えることなんて、早々あることなんだ。(早々ないと言いたいところだけど)はっきり言ってしょっちゅうあるんだよ、実際にね、かなりPOSITIVEだと自負してる僕にだってさ。はっきり言って、死んじゃおっかななんて思うことはよくあるわけだ。

例えば、朝早起きして、コーヒーを飲んで、「今日はなんてすがすがしい日なんだ」なんて思ったりする爽やかな朝に、なぜか、今から台所から包丁を持ち出して、自分の手首を切り落としてもなんてことないな、って気分になったりするんだ、それってちょっと変だろう…って思うと思うけど、シチュエーションは人それぞれだ。別にさわやかな朝であってもなくてもいいわけだけど、たまに「このまま死んでもまあよかろう」って思うことがあったりする。それがまた、穏やかな気持ちで、まったく狂気のかけらもない時なんだよね。痛みとは無縁の瞬間だよ、その前後にどんなにイライラすることがあろうともね、そんな気分になるのは、実に穏やかな気持ちになってるんだ。その時は恐怖にだいぶ鈍感になっている時かもしれないね。

まぁそんな時は死ぬことだってお気楽に考えちゃうわけだけどさ、僕はそういうチンケなやりかたは避けたいってわかっているよ、「今年も未成年の自殺者が過去最高」なんて言う統計の母集団の1部に入るはご免なんだ、うん、割と前向きな考えだ。

そんな死ぬことへの妄想を膨らますことは、すごく人生に落胆している人たちだけがすることのように思えてくるけど、まさにそんな気分で毎日死ぬことばっかり考えてる奴に僕は言いたいんだよ。僕は、毎日妄想している。それも割と陽気にそれらを処理してるんだ。僕の妄想が、人から言わせれば、たいして深刻じゃないからだ、って言われても仕方がないんだけれども、それでも僕は毎日のように、と言うか気づいてみるといつも死について考えていたりする。そこまでいくと、僕ってやつはさ、どうしたって人生を追求するときに死についても考えてしまうしかないのかなって思うんだ、もうこれは宿命なんだよ。だからってここで素直に死んじまったらそれこそ自分でも笑っちまうよ、だから普通に生きていけるんだ。他の人はどうなんだろうって考えることがあるけど、そんなことをちっとも考えない奴は、死にたいなんて考えないだろうし、当たり前みたいに死について考えている奴は、「でも死なないけどね」って思えるじゃないかな、これは僕の希望だけども。

さて、今日もお決まりの朝がやってきたよ、気持ちよく目覚める朝が羨ましいね。起きた時の気分ときたら毎日最悪なんだから。今日もお決まりのroutineだよ、決まった時間に起きて煙草とパンとコーヒーを3つ同時に胃の中に入れるんだ。なんだか優雅さがないよね、でも早起きした所で、のんびり朝ご飯をしっかり食べるようなおっとりした胃腸の持ち主じゃないもんでさ、せいぜい煙草を1本2本余計に吸って脳味噌がモクモクのままいつもの同じ道を歩くんだ。なんでったってこんな気持ちのいい朝にすし詰めになった電車に乗って、一体どこに行くんだよ、僕は。

でも僕のガールフレンドとか家族とか、誰だか知らないあいつも思いつく奴もきっとそんな気分になることもあるだろうよ、僕だけじゃないってことは承知してるさ。もちろんそんなことには無縁そうな人間もたまにはいるけど。ここでくよくよしてもしょうがないんだよね。もちろん僕の母親は脳味噌をモクモクにさせたりなんかはしないわけだけどさ、これは僕の場合ね、どうにしてもなんかつまらんことを繰り返すことに憂鬱になることなんていくらでもあるのさ、特に僕みたいにたいしたことない平凡な日々を送ってる奴はね。

でもそんな憂鬱な朝でもノラ猫が塀の上をのそのそ歩いているのを見たり、夏の匂いを嗅いだりするだけですっかりのんきんな気分になれちゃうんだから。社会との調和は危ういが、地球の長閑さに感謝できる。まったく馬鹿みたいな妄想に浸ってた、まぁそういうこともいいだろう。そういう気分を楽しむのも大事だ、でも今はまったくもって晴れやかな気分だよ。

死への恐怖が薄れ、自分の死に対する重みが消えたときに、思わず死んじまう、それってある種の離人感覚じゃないかなって思うんだけど、どうだろう。ゲームをやりすぎたり、映画なんか見た後なんか、恥ずかしいけど、僕ってかなり影響されちゃうんだよね、いや、恥ずかしい話だよ、でもほんとに自分が空想の世界にでもいるみたいに、他人とか友達とか家族とか、だれでもいいんだけど、見る人誰もが、なんだか映画の登場人物にでもなったみたいに、現実感がなくなったりする。そんな時に、自殺するとか、もしくは誰かを殺してしちまうなんてこともなんだかありうる話だな、なんて思ったりするんだ、まぁそういうこともひょっとしたら自分はできるかもしれないってさ。びっくりするけどね。

まあそんな気分になることがあってもなくても、ここで僕が言っておかなきゃならないのは、なんにせよ、簡単に死を現実化させるような奴はみんなクソッタレだってことだ。僕はたいしたことない、と言うよりもクソッタレな人生を送っていると言ったほうが近いと思うんだけど、とりあえず自分が死ぬときに、「こりゃ、クソッタレだった…」って思うのだけは避けたいって思うんだよ。それってどうゆうことなんだい?って?クソッタレな人生を送ってきているのに、クソッタレな死に方だけは避けたいだなんて。つまり僕が思っていることは、クソッタレな生活しかできなくても、クソッタレな人生観に追いやられてロクでもないことをしでかすのはやめようぜってことだ。

いつもやってくる未来は憧れていた未来とは違う。でも過ぎ去った過去を思うと、「もっとうまくやればよかった」なんて無駄なことを考えたりする。20歳になって15歳をやりなおしたいと思うし、25歳になって20歳をやりなおしたいと思う。その繰り返しなんだよ、馬鹿みたいに同じことをやらかすんだよ。そして、いつも今になってうまくやればよかったなんて思うのは、今だからこそ思うことだ。20歳の今の自分で15歳をやり直せたらきっとうまくできるだろう。でもそれはムリってことよ。うまくできない、やるせない感じ、まぁそれを青春とでも思っておこうよ、20歳くらいまではさ。僕の青春時代なんて、憂鬱への陶酔みたいなもんだ。絶望感に浸るのも悪くないね、そんな気分の時はそんな気分を思い切り楽しめばいいよ。僕なんて狂気を味わってみたくて、必死でイカれた事ばっかり考えてもんだ。とにかく、馬鹿げたことを考えまくっても、馬鹿げたことはしない、それが僕のやりかたさ。

僕は今でも甘っちょろいけど、それをそのまま甘っちょろいまま終わらせないつもりだ。今だに引きずってる甘っちょろさを日々更新してるわけさ。それはそれでおもしろいもんだよ。

命が有限だからこそ、僕らはいつまでも死を追っかけまわすのさ、わかってることだよ。だからさ、僕はいつまでも追っかけまわしたいんだよね、どうしようもない毎日でも。
狂気も命あっての事だよ、だからさ、それも楽しかろうと思うんだよ、僕は。

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