投稿日09/05 23:37
「傲慢な弱者」
ひよこ
僕には、弱いものを窮地に立たせるへきがあるのだ。
ついついそういう奴らの狭苦しい観念を崩れさせてやりたくなるのだ。
でもついには、動きの鈍くなった脳ミソに落胆させられるのは僕のほうだとくよくよしたりする。
傲慢な精神もそこまでだ。
だから普段はそういうものに関わらないようにしている。
僕は強いのだ。
だが、なんとも言えなくへどが出るのはどうしたことだろう。
僕はきれいなことを言える健康な人間でも、生きることに不安を感じる病弱な人間でもないのだ。
僕は幸福だ。
僕は今、無理矢理にでも「僕は幸せだ!」と誰にでも言ってやりたい。
例えちょっとそんな感じじゃなくても言ってやりたいのだ。
「生きることってすばらしい」なんて言葉、恥ずかしくて言えなかったさ、
10代の僕は反社会のシンボルだ。
確かに10代の僕にはそんな言葉、誰が聞いてもウス笑いが聞こえる程軽薄なものにしかならなかったのだ。
死にたい、と言ってる奴がいた。
僕は、友達の田中君に聞いてみた。
「そういう奴にはどういう言葉をかければいいだろう?」
「死んじゃ駄目だ、と言っても「わかってくれない」と言われるだけなんだ。」
「残される人の悲しみなんてどうでもいいらしいから、そういう事を言ってもたいしてこたえないんだよ。」
僕は、「どうでもいい」と言う奴が一番嫌いだ。考えなく逃げ道を探した時の言葉だろう。
蹴散らすには丁度いいが、自分にも負ができるのだ。
僕は、「きれいごと言うな!」って言われちゃうような事を、必死になって伝えようとしている人達は嫌いではない。
彼らは大抵は健全で正論を言っているのだし。精神論ってやつか。
でも僕はそんな健全な言葉で奴らの考えが変わるとは思っていないよ、
僕だって死にたいと思う時にそんなこと言われたらたまったもんじゃないなと思ったりするのだ。
(でもどうでもいいとは思わない)
僕も奴らもひねくれもんなのさ。
だからついついアグレッシブな事を言いたくなる。
「死んだら悲しむ人がいる。」そんな言葉に対して、「誰も悲しまない。悲しんでもどうでもいい。」
はっきり言って死ぬ者にとっては、人の悲しみはたいして気にならないだろう。
僕が死んだらきっと彼女とか家族とか悲しむだろうな、とか思うけど、それをわかって「すまないが、俺は逝くぜ。」
(なんてかっこいいかわからないが)と思って逝くのでしょう。(僕はそうします。)
「生きていても何もいいことがない。」そんな言葉に対して、「いつかきっといいことがあるよ!」
僕は概ね幸せであるが、生きていていいことはあったことがない。
まして不幸のどん底にいる奴にそんな期待をかけさせるのはいかがかと思うね。
生きててよかったなんて思って人生過ごせるような奴はなかなかいないもんだ。
「死んじゃいけない」そんな言葉に対して、「わかってくれない」
死にたい願望を否定すると、死にたい奴はそいつを否定する。
田中君がどうしたらいいんだって言うから「僕はこんなに生きたいのにわかってくれないのか…」と泣いてみたらどうだと言った。
生きたい人と死にたい人をフェアで考えてみたのだ。
その人に「出兵が決まったんだが、僕は生きたいから代わりに行ってはくれないか」と聞いてみてくれ。
田中君が言うには、その人は「死にたいが死にたくないのだ、消えてしまいたいのだ」と言う。
それは理想的だな、僕も苦しまずに消えてしまえるのなら、死んでもいいなと思った。
「追い詰めないでよ」「お前に何がわかるんだよ」
田中君がそう言われたと言って落ち込んでいた。
その人は僕よりも強いのではなかろうかと思った。すごいパワーだと思ったのだ。
僕は弱っている時には、人に言われた事をそのまま受けてへなへなになったりする。
羞恥心でいっぱいだからか、反論する勇気なんてないんだよね。
死にたいなんて思っている時の自分の情けなさと恥ずかしさといったら。社会に顔向けできぬ。(から死にたいのですね。)
「田中君、その人はすごい自信満々で死にたいのだね。」
田中君「神経を逆なでるようなこと言うなよ。」
そうだ、僕は追い詰めるのが得意だったのだ。
そういう人は、いい方向でなにくそ精神は働かないもんだろうか。僕はいつもついつい期待してしまうんだ。
「田中君、きっと僕はその人の非難の声を直接浴びたら、自我の異常の可能性に悩み、苦しむかもしれない。」
こういう時にヘドがでそうな気分になるのさ。
僕は、弱い者のアグレッシブな力を恐れている。陰の気が強いね、陰気。
「代わりに背負ってくれ」
もちろん背負うことはできまい。
背負うということは、僕が代わりに死ねば、死にたいという気持ちが解消されるということなのだろうか。
そんなことあるまいな。人に思考を移行することなんて。できたら自分はどうなるのだ。
いずれにしても、僕はそんな事を人に言う勇気はないのだった。
「きれいごと」
きれいごとってどんなことだろう。さっき言ってたようなことか。いずれにしても、「きれいごと」を言った人よりも、
それに対して「きれいごと言わないで」で終わらす人のほうが浅薄だ。
しかしあんまり最近言われたことないけど。昔付き合ってた女みたいだ、そうそう女がよく言うね。
とりあえず、「きれいごとに対する汚れごとでもいいから、ちゃんとその否定の意を説明してくれんかね、」と言ったら
ひっぱたかれた記憶があるよ。(で、わかんないんじゃん、と思いました。)
僕はこれでもまじめに考えているんだけども、ふざけたことを言うなと言われるのだ。
暴言をくらうと、こちらのほうが悪い気になってくるよ。健康な僕だって、相手より精神的に強いとは限らない。
思想の問題もあるかもしれないだろ。
なんだか僕は強くないような気がしてきたんだ。
でも死にたいという考えもただそのままは否定しない。
生きなきゃならないという考えもただそのままは否定しない。
どちらにも自分なりの考えを述べるさ。
だから僕は、誰かがお互いにどちらかの側を否定する時、敵意の感情でもって相手を罵ることに、
どうしようもなくヘドが出るという事に気付いたのだ。
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