[1] 「米米」石井竜也が自殺未遂など壮絶な過去を告白
2012 06-26

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「米米CLUB」などの活動で知られる歌手の石井竜也さん(52)が、テレビ番組で壮絶な過去を告白した。
グループ解散後、多額の借金を背負ってしまい、自殺未遂までした。立ち直ったきっかけは一本の電話だった。
石井さんが出演したのは2012年6月24日放送のトーク番組「アシタスイッチ」(TBS系)。デザイナーのコシノジュンコさんと2人で互いの生い立ちを語り合うという構成だ。
石井さんは福島県との境にある茨城県北茨城市の港町で生まれた。
実家は100年続いている和菓子屋「石井屋」で、職人や出入り業者など、常時20〜30人が家にいた。
いつも「一人になりたい」と思い、屋根の上にのぼったり、蔵の中で古いものを見たりするのが好きだった。繊細で敏感な子どもだったようだ。
上京し、美術学校の学生だったときに結成したバンド「米米CLUB」で1985年にデビュー。
JALのCMソングにもなった「浪漫飛行」(90年)や「君がいるだけで」(92年)などが大ヒットしたが、97年に解散した。
ここからが石井さんにとって厳しい時期だった。
90年代後半、解散を前後して、ソロ歌手での活動のほか映画作品、「河童」(94年)、「ACRI」(96年)の監督など幅広い分野の活動にチャレンジしていたのだが、その結果10億円にもなる借金を背負ってしまったというのだ。
人間不信に陥り、仕事のために家から出ようと思っても過呼吸になってしまう。家では窓を閉め切り、「もうおかしくなりそうだった」と振り返る。
そして、「俺、いない方がいいかも知れない」と思い詰めてしまい、「自殺未遂を2回ぐらいやっていますね」「刃物見るとやばいんですよ、死ぬこと考えるんですよ」。
そんな石井さんを救ったのが、3年前に亡くなった父親だった。
元々あまり喋るタイプではなかったが、ある日突然電話をしてきて、
「お前はたぶん今人を恨んでるだろう。お前は今夢を売って、夢を作ってきたんじゃないか。人を恨んだり憎んだりして良い作品ができるか? そういう作品はお父さんはみたくない。自分がやってきたことを信じなさい。(中略)金なんてものは結局心がないものだろ?
そんな心のないものにお前は命を預けちゃうのか。こんなくだらないものに命を預けるなんて、お前はそこまで馬鹿じゃないよな」
と、たんたんと語ったという。
この言葉で「死ねない」と思い、それからは必死の思いでコンサートをした。
「いいじゃないか、借金があっても。多少あった方ががんばれるわちょっとベクトルを変えただけで、人っていうのはこんなに強くなれる」と話した。米米CLUBは2006年に再結成され、2012年春にも全国ツアーを行っている。
石井さんは2011年にもイベントで、「負債を抱えて自殺寸前までいった」と語っていた。
今回の告白はツイッターを中心に話題になり、「石井竜也さんのお父さんの言葉、ものすっごく感動した」「映画不発の裏でそんな事があったとは…」といった声が出ていた。
(J-CASTニュース)
以下、ネット上の声。
「で、スケバン刑事をDVしてた件は見事にスルーですか!相も変わらず卑怯者だな!」
「2回目も失敗したって事なら最初から死ぬ気ないやろ」
「自分から自殺未遂話をするやつは総じてクズ」
「アンタ南野陽子と付き合ってるときはDVだったらしいな。
あんまりいい印象ないよ。自殺未遂とか口に出すなよ。」
「お父さんは女を殴るなよとは言わなかったのか?」
「金があまりすぎた道楽で個展やらやってると思ってたがホスト崩れのメンヘラだったのかw」
「数えきれない女やり捨てして堕胎させたくせに
なに自分かわいそうみたいなこと言ってんだ」
「ACRIって吉野公佳とやりたい一心で撮ったんじゃねーの??
つかホストやってた過去何処逝った?
てか茨城のボンボンじゃねーかよ糞が」
「米米のメンバーが、曲の印税は、作者だけに入るもんだけど、石井はそれもメンバーに分けてくれたって、感謝してたよ。それ以来、この人はいい人なんだろーなと思ってた。
映画も、昔観たけど、いい映画だったよ。ホント。」
「↑グループに入る金を勝手に映画製作につぎ込んでメンバーが怒って解散したとラジオで言ってたぞ」
「↑両方とも事実なんじゃね
分け前もくれてたが映画製作に突っ込んだりもした
前者を感謝してる奴もいるし
後者でぶちきれた奴もいると」
「心理学で言われているように
やっぱ、生まれながらの金持ちは金が無いのを苦に自殺しないんだな」
「カミングアウト(笑)する奴は基本かまってちゃんだからなw」
「自殺未遂話で本でも書いてひと山当てようって腹?」
「さだまさしがコンサート帝王になったのは
映画で作った30億円の借金のせい」
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