09/11 20:43
「存続か?廃止か?」
木ノ葉
最近、テレビなどで度々死刑制度について話題になることがあり、自分も少し考えたりします。
死刑制度を存続すべきか、廃止にするべきか…?
どちらかと言えば、少し前まで私は存続派に傾いていました。
いろいろなケースがありますが、罪もない人の命を奪った人はやはり命をもって償うべき、という考えです。
一理あるとは思いますが、これは完全に被害者側遺族の立場に立った考えです。
しかし、自分が他の立場だったらどうでしょう…?
例えば、裁判員だったらとしたら他人の生死の決定は非常に重責で自分なら放棄したいというのが本音です。
そして、実際に死刑執行のボタンを押す刑務官だったとしたら、職務とはいえ人を殺すのですからそれは重く苦しいことでしょう…
死刑執行のボタンを三人で押す理由は、人の命を奪うという重責から逃れるためではないでしょうか。
それぞれの立場から考えると本当に難しい問題で、誰もが納得できる結論は出そうもない。
立場が違うと全く見解が異なるわけですが、私は少し前にある死刑囚について特集したテレビ番組を見て、ちょっと考えが変わってきたんです。
その死刑囚は永山則夫という人で、19歳のときに連続ピストル射殺事件を起こし4人の命を奪い死刑判決を受けました。今から40年以上前の話ですが…
永山は極貧の家庭で育ち、父親不在、あげく母親は幼い子供達を残して郷里に帰ってしまい、ろくに学校へも行かず読み書きさえ不自由だったそうです。
そんな背景が起因して起きた事件だったと思いますが、永山は獄中で勉強を始め人の心を取り戻し、変わって行くのです。
小説を書き始め、それが世に認められ新日本文学賞を受賞し、その印税を被害者家族へ送りました。
お金を支払ったからといって犯した罪が消えるわけではないけれど、罪を償おうと心から悔い改めた人間を死刑にするのは、なんとも忍びないことだと私は思いました。
残念ながら永山は支援者の願いも虚しく1997年8月1日、東京拘置所において死刑が執行されました。48歳でした。
綺麗事だと思う人もいるでしょうが『罪を憎んで人を憎まず』そんな世の中であってほしいと永山の事件を通して思いました。
編集
△このコラムのTOPへ戻る
▲コミュに民のトップへ
小瓶に手紙を入れて海に流すようなコミュニティ
