投稿日07/31 01:07
「愛は愛を呼ぶのか?」
プラ
時に疑問になることがある。
信じることが大切で、愛は愛を呼ぶということに信念を持っているが、
やはりそこは人間なので、本当の愛というか、真の愛は何なのか分からなくなってしまうことがある。
愛情表現は人それぞれだか、愛情を求めているだけでは相手に対する愛情は生まれない。
最近では一方的に歪んだ愛情表現を目の当たりにする。
一方的なものは、
ただ自分が愛されたいがために歪んでいくわけで、
正しいとは言えない。
しかしそれが一方的でなければ確実に相手の心に受けた愛情として残る。
私利私欲をすてた愛情こそが真のものになると私は信じている。
これを偽善と捉えられたとしても、
それは人の価値観だから気にはとめない。
これは過去の自身を振り返って改めて実感したことなのだ。
愛して欲しいから、相手のために、相手の要求に応える。
相手のためと言いつつ結局は自分の事しか考えていなかったのだ。
今感じることは
愛は愛を呼ぶことを信じて、不信を感じた時は私欲になっているということ。
そこを感じとることができれば、お互いの愛は共有できるのだ。
若いうちはどうしても私利私欲が先行して感情的になり、「私はこんなに好きなのに?どうして?」となる。
この感情を無理して抑える必要はないし、応えてくれない場合ももちろんある。
しかしそこで相手を責める前に、相手の本心を確認してから行動すれば(信じてみる)
ついつい唐突にぶつけてしまった感情に後悔することは無くなるだろう。
私もついつい不信に感じてしまった場合は、親しい友人や誰か、第三者の意見を聞いて、自身と相手を客観的に見てみる。
そうすると以外と不信感は突発的なものよりうんと小さくなるのだ。
誰かに愛して欲しいのならば、誰かに無償の愛をどのような形でもよいので、
(決して歪んではいけない)
注いでみてはいかがかと思う。
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