投稿日11/17 17:58
「依存するもの」
マーシィ
なんだかんだと叫んでみても、人は一人では生きてはいけない。
何かに依存しながら、何かに活力を貰いながら、人は生きる意味を自分に見出し、生きているのだと思う。
でも、その依存の対象が他の誰かだった場合、その人の言動一つで自分のテンションが良くも悪くも変動する。
恋愛とか相手に依存している時に、喧嘩したり浮気をされたりすると、誰だって思いっきりテンションが下がる。
家族を失って、その日に笑顔で出勤しておはよ!なんて誰だって出来ないだろう。
それは、家族であったり恋人であったり、そういう存在に依存して自分の人生が成り立っている証拠。
人は一人では生きてはいけない。
他人は自分を裏切る。
容赦なく裏切られ、その度に自分自身を見失う。
そして、その度に人は誰に依存するでもなく、一人で強く生きていける人間になりたいと願う。
しかし、何にも依存しないで生きていく事は不可能。人は一人では生きていけないのだから。
人は依存の対象から活力を貰っている。
それでも人は誰にも頼らずに生きていかなくてはならない時もあるだろう。
そんな時は依存の対象を変えること。
そう。
依存の対象を動的な存在から静的の存在へとシフトする。
依存の対象が静的な存在であれば、それに振り回される事なく安定した精神状態を保つ事が出来る。
今の時代の人間は昔の人に比べて精神面での弱さが目立つ。なぜ昔の人が精神的に強いのか?
それは依存の対象が宗教であったり、主君への忠誠心であったり。
静的なものに自分の精神を預けていたから強い精神力を保つ事が出来ていたのだ。
依存の対象を他人ではなく、自分の信じる何かに依存の対象をシフトする事が出来れば、きっと精神的に安定する事が出来る。
それは決して宗教などでなくてもいい。
例えば自分自身に依存してみる。
自分の夢や目標に依存の対象をシフトしてみる。
それだけでいい。
それだけできっと、今よりももっと安定した自分で居ることが出来る。
>>2009/11/17
(C)Goody
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