山里紅包粽子/島野律子



猫編2

*同人誌「プラスマイナス」104号掲載作品

小雪ちゃん(仮名)がやってきた翌日のこと。小雪ちゃん(仮名)は、椅子に座っていた私の膝にひょいと飛び乗り、そのまま丸くなって二時間眠り続けておりました。
失業中ですから、身動きもままならない二時間など、どうということはないというか、帰って来た連れ合いに自慢しまくるネタになりましたが、それはそれとしてです。
久々の猫の体温に「あー猫ってあったかいー」と暢気な感想を吐いていた自分です。うかつです。鼻水ずるずるの猫が、熱発してたんだよ。間抜けにもほどというものが。
行きつけになる獣医さんのあたりをつけるためにも、近いうち市内の病院に連れて行って、さて健康診断などと悠長なことを思っていた自分はやはり、猫対策がなっていませんでした。
その次の日、小動物に特化したペットショップの通販で入手しておいた、目の細かいファスナーで完全に出入り口が閉じられるタイプのトンネル型キャリーバックへ、難なく小雪ちゃん(仮名)を誘導し、さあ幸先いいと喜んだのもつかの間のこと。
小雪ちゃん(仮名)は閉じ込められたと気づくや否やそれは見事なサイレン鳴きを始めたのです。な、なんでですか。一昨日あんなに、暢気な風情で長距離移動をかましていたじゃないの。
これからマンションの廊下を抜け階段を走りエントランスでご近所様と遭遇するかもしれないんですよ。まだ猫飼育許可の申請もしてないうちに、騒音の苦情をくらってどうする。あせりました。
幸いにも平日昼前のエントランスに人影はなく、それぞれのお宅は留守か家事の真っ最中。尻尾を捕まれることなくなどと、不埒な言い草が頭を巡ります。
小雪ちゃん(仮名)も必死でしょうが、こちらも必死です。呼んであったタクシーに飛び込みほっと一安心。親切な運転手さんが、思い出したように叫ぶ小雪ちゃん(仮名)に同情してくれ、色々と話しかけてくださいます。
毛の飛び散りはあまりないタイプの密閉度の高いキャリーではあるものの、ああ、毛が舞ってるよ。恐縮しつつ病院に向かいました。

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初診の問診表を手に、この難関をなぜ忘れていたんだよ。自分を叱咤いたしました。
名前どうするんだ。受付をしてくれた看護師さんの対応のよさに、ここを行きつけにと、半ば決心した身としては仮名は書きづらい。事情が事情なんだから、あとでちゃんと説明すればいいじゃないかとは、なんだか思い切れませんでした。
とっさに「みやこ」と書き込んで、ええ、吉田都さんのみやこですとも。なのに「みゃこちゃんですね」の明るい呼びかけに否定の言葉が出なかった自分なのでした。
都ですとは恐れ多くて、口にできかねたのです。やはり「みやこ」はあきらめか。こんな緊張を持って発声しなければならない言葉を、呼び名にはできません。
診察台にキャリーを置き、さあどうやってここへ出そうと悩むまもなく、大きく開いたバックの口から誘導なしで、のんきな顔つきのままけろっと出てきた小雪ちゃん改め一時暫定みゃこちゃん、かわいいねえとほめられてます。
得意げな顔をしたのはもちろん私です。だめです。さて、体温計を肛門に入れられ「聞いてないよ」かあっと盛り上がる一時暫定みゃこちゃん。
「野性味あふれてますねえ」と獣医さんに評されました。野良でしたからと、そのときは信じていた事情を弁解がましく説明し、まだまだ預かり者の意識が消えてない自分、一時暫定みゃこちゃんを叱るなんてできませんでした。
「注射、大丈夫かな?」セリフほど不安げではない獣医さんの素早い手技と、なんといっても先ほどの感じいい看護師さんの神業首筋なでの魅惑で、問題なく処置は終わりました。というか、見たことのないうっとり顔ですよ。
あまりのかわいさにぐっと、胸を鷲掴まれておりましたら「はい終わり。よかったねー。ほら、おかあさんだよ」看護師さんのやさしい声掛けに一時暫定みゃこちゃんは診察台から私を見上げ「あんた誰」本気で不審そうにしておりました。
たしかに「母」ではないけどもね、でもね、昨日二時間膝を提供した仲ではないかよ。
「人懐こい猫ちゃんです」キャットシッターさんの嘘偽りない言葉を、早速がっつり噛み締めさせていただいたのでした。


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