投稿日08/15 15:22

「空を飛ぶサカナ」
ラタ


名前って、なんでしょうか。

自分の名前を大切に、よく聞きます。
けど、名前ってなんでしょうか。
当事者である自分は、極希な例外を除いて、自分の名前を決めることはない。
勝手に肉体を与えられ、親の理想で名前を呼ばれ、何が楽しいのでしょう。
人間は己の増やした個体以外にも名前をつけます。わたしがそうしてます。
あっちの人形はミシェル、うさぎはセナ、帽子を被ったのがリタで...。
まあ、これは人間を模範してのことでしょうが。
では、人間が営んできた文化である名前とは。

区別でしかないのです。

聞いたことはないでしょうか、大昔日本で「山の上に住んでるから山上さん」なんてネーミングされてた話。
それなのにいつの間にか、わたしには優しい子、美しい子、...区別のための一言に、いろんな妄想と期待がのし掛かっている。
正直、成績はよくないし、昔はいじめられたり保健室登校。友達も少ない。性格は見ての通り、悪い。外見は性格が出るらしい。
折角いい名前をつけてあげたでしょう、
いい名前なのにねえ、
そんなこと、わたしは知らない。
「わたし」に、理想と云う意味を孕ませないでほしい。

意味と云う言葉にも、同じことが云える。
最近の若い人はよく「わたしなんて生きてても意味がない」なんて云ってますよね。
おっしゃる通りです。
我々が生きている意味など、何処を探しても存在しません。
人間は頭がよすぎます。
時たま、自分たちの文明に関係のないことを考えては、大宇宙のすべてに事細かに意味がある、なんて大それた錯覚をしてしまう。

意味も名前も、自分たちが区別で与えたこと――鋏は切るもの、針は刺すもの。必要最低限でいい筈なのに。

世界はわたしたちが考える以上に不安定です。
正解など準備されていません。

今わたしたちが鳥と呼ぶ生物に魚と名前がついていたら、魚は空飛ぶ生き物です。
わたしに毛虫と名が与えられれば、わたしは毛虫です。
わたしの部屋の金魚は空を飛びます。
金魚が望まなくとも、わたしが水槽の水を空と呼ぶ限り。



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