別冊 未詳24

鈴木妙 長編作品集

ほうれん草とベーコンのチーズマヨパン


 これでいいかな、このかたさでいいかな。すくって食べていつかアルデンテと化す前にいつかぜんぶなくなってしまうケースが来ることを思い浮かべる、その間に砂時計の上部が空になっているのでひっくり返しながら、ロスした時間を考慮に入れると今度はあの辺まで落ちたら見切り発車すべき、みたいになるのだが、ない、ことを知りつつもまた一本かんでみてやっぱりコチコチなのに、ゆで塩だけでうまいと思うこのうまさは、たぶん、おなかがすいた。そうたぶん、先ほどの思い浮かべ、対する反駁やスパ麺自体の性質ならびに解消不足の空腹そして解消不足というならセックスも似たり寄ったりであるところの、それらによってうまさは割り増しされているに違いない、が、胃に進入した少しばかりの麺が逆に飢えを刺激したようで、おなかがすいた。になった。なりました。
「おなかすいた」
 が、を取って詠嘆を深めたはずだったが、三秒してから気づかれるほど力なく、落ちて鍋の中、沸騰に目が揺れてしまうし台所(ゴキブリがでない家においてキッチンと呼ばれるスペース)には冷蔵庫の中も含めて麺にあえるものがありません。わたしはひどく悲しい。コロスを感じます。それは米であり寝室にまします惣菜パンであり、すると日本的に地謡と称しても良いのかな、と、トントン、床を踏みならしても、白拍子が毒蛇への変身を期しながらも「期し」のないみたく舞うようになれず、とはいえ生き霊になって呪い殺す相手もすぐには見つからなく、見つかったところで思いを遂げる隙に麺が伸びきってしまうのではないかな、火の始末をどうするのかな、それ以前にわたしの身体が幽体を離脱させるだけのカロリーを提出できるのかな、等の諸関門が待ちうけ、食べてから行けばいいといえば食べるつまり麺がなにかにあえられることで麺にあえるものなき悲劇は消失する。つまりわたしが米や惣菜パンをコロスと称すのは能と比べ古代ギリシア劇に無知であることに依っているわけで、だから比喩は怖いのだけれど、知識・胃袋・台所の空白が、未知数X,Y,Zイコール、わたしとなってまだ少しかたい麺をさらにおいしからしめるこの有様、この唾液、もう素スパでよいのかという。「あえられない(悲劇)」と「食べられない(悲しみ)」をあえて分離すべきなのかという。空白の絡んだ醍醐味は「いただきます」後の偉大な一口で終わるに違いなかろう、けれど醤油・味ぽん・塩・こしょうの四皿に分ければなんとかいけそう。
 寝室は寝室。人が寝る。人と寝る。パルフェタムー。ちなみに居間はきれいな部屋において少々の巻き舌を添えルィビングと呼ばれ、きれいに対しては何事も寛容になるべき。
 元をたどれば所持金をゼロにしたのもわたしであり、一日一食の納豆ご飯に飽き飽きしてきた、のも、納豆の消費期限が一週間前に切れていてまじあせったしテンション下がった、のもわたしであり、これ以上の借金は控えておこうとか、後輩が買ってくれた「ほうれん草とベーコンのチーズマヨパン」を明日の朝食にとっときたいとか、判断したのもわたし、であり、まさしく頃合いとなったその歯ごたえにうっとりと今さら後悔しているのは、わたしである。ただ、ご飯、そば、うどんはまだしもスパゲティを素でいただけないのは慣習で、これは他者があります。ミートソースを用いる場合ゆで上がった麺をバターで炒めるとよりおいしいらしく、わたしは試したことがないけれど、知り合い(二十代女性・貿易会社勤務・独身・かわいい・彼氏持ちかは不明)が一度会ったきりのわたし(十代女性・学生・独身・かわいそう・彼氏持ちかは不明)にオススメしたくらいにはおいしいらしいから、それはきみにもオススメする。します。どういたしまして。

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