投稿日05/09 00:07

「☆宗教☆」
鈴木琴実

オウム真理教や真光教が何故、凶悪犯罪集団と言われたのか。

“詐欺や殺人を犯したから”

なんて、簡単な事ではありません。

『人は弱いから宗教にすがる』
これは確かにその通りです。

でも、単に“弱い”などという言葉で片付けてしまってはならない、もっと ずっと 人間の悲惨さがこの事件にある事に気付かなければ。

『人を見る目を養おう』『自分だけはそうならないように気をつけよう』
というのは、まるで、あの集団にいた方々は
『人を見る目がなくて迂闊(うかつ)』
であったかのような…それは違う。


“悪人は人の弱さに付け入る”
“すがるのは、その人に足りないものがあるからだ”
“何かにすがると盲目になる”
“人を見極める事が大切”
これらは誰もが知っている事ですよ?自分が宗教にすがるなんて誰も思ってやしません。

もとから“宗教にすがりたい”などという思いを持った人なんていませんよ。

オウム真理教の沢山の信者はどんな人達だったのか。真光教に全財産を差し出した人達は、どんな方々だったのか。想像したことがありますか?

いえ、この大きな犯罪宗教に限らず、創価学会、エホバ、etc…

宗教に足を踏み入れる人というのは、どんな方々なのかをご存知でしょうか。

並々ならない不幸のどん底に沈み、死にたいけど死ねない。生き地獄。

“すがるから盲目になる”のではなく、
“不幸のどん底に陥り、心が蝕まれ、盲目になってしまったから、すがった”のですよ。

正に“藁にもすがる想い”なのですよ。本末転倒です。希望の光だと信じて。なけなしの自分の全てを捧げて。その、不幸のどん底の人間の最後の小さな希望を、命を、最大の侮辱と侮蔑で愚弄し、捻り潰す。

・・・それが
オウム真理教や真光教のした事でした。詐欺事件や殺人事件よりも、もっと残酷で重篤な事件だというのはこのためです。

あとはおまけで、お金の匂いがすれば、悪い心もどんどん引き寄せ、膨らんでいきます。

宗教に嵌(はま)ってしまった人の事をあげつらって言う事、

しかも
『自分はそうならないように気を付けよう』
などと言ってしまう事は、

弱った人間を侮蔑し。
弱った人間の尻を叩く。
延(ひ)いては自分自身を過信しすぎて、それこそ“盲目”になっているのでは。

結局その心は凶悪宗教教祖となんら変わらない。
そう、私は思えるのです。





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