最初から理由なんてなかった、最後まで理由は残った



 (、スコールがマレーシ…)
岬へと抜けるトンネルで途切れるラジオ。

上り坂、自動車を加速させていく。

波浪警報の発令された雪の日、町外れに建つ工場の裏の、汚染された川に恋人を捨てた。薬品の匂いの微かにする水はあの人の体の角を丸くしながら、押し流していく。街灯に照らされて揺らめく肌は初めて、美しかった。六十四キログラムという重さを手放した腕は必要以上に身軽になってしまって影も見つけられないから、おそらくあたしは既に、最早いきものではないのだと思う。

 *

マンホールの蓋がぽっかり口を開けていた、初夏。ねえ、この中どうなってるの、ねえ、と幼い男の子が母親と思われる女性の手を引いている。まあ、危ないから近づいちゃ駄目よ、と母親は男の子の手を引きかえす。ねえどうなってるの、駄目よ行くわよ、ねえねえ、駄目ったら駄目、ね…『異常な暑さですね』とニュースキャスターがテレビの中で淡々と語っている。窓を閉めると、色褪せた花柄のカーテンの裾の一瞬のはためき。深い影。浴室からくぐもったシャワーの音と、鼻唄が聞こえる。あ、この唄は聞いたことの、ある。

冷蔵庫にはびっしりと、檸檬を規則正しく並べている。

恋人とあたしは休日が重なると、よく公園へ行った。あの人のお気に入りは象のかたちの滑り台で、特に左眼が好きなのだと云った。ペンキが剥げかかった困り果てたような眼。あたしが真似をしてみせると、あの人は、全然似てないよ、とそっぽを向いた。そうかしら、と鉄棒を回転する。スカートが翻って、ほつれた部分から風になる。まっさらな空へと続いていく糸は“遠い国の砂漠の上でたくさん咲くの、そしてゆっくり種になるのよ”と云う。反転した恋人の後ろ姿は当に忘れた。

そうかしら、そうだよ、会話をするのがとても好きだったのに、ね。

 *

岬に着く。車の中では相変わらず、ラジオが途切れ途切れ、流れていた。―午前八時、□△町の郊…工場の…、…体が発見さ…た、死…れたのは隣町に住…歳、現在死因を…す。たどたどしい音をつないで、あの人を記憶の海から引き揚げる。どろどろした苔が皮膚を覆っている。指でそろりと苔を払い肌をみつけようとする、けれど払えども払えども肌はない。どんどん薄べったくなっていく恋人。散らばり渇いていく苔も、あの人の一部だったのだろう、あたしたちのアパートの浴室の匂いが辺りを漂っている。あ、あた、しが、あたした、たちちの、あたしち、たち、は、あ、ただ、だたっした、ちに、にあ、ちをあ、…

 *

手をつなぎましょうよ、
緑の崖からみえる水平線の緩やかさを知っているでしょう、恋人、雲から落ちるひかりに、その先の水面に、いるのなら、あたしは海底になってそれを見上げていたいと思う。助走もなく、傾くだけで、放物線はひかりに混じる。髪は引きちぎられ、冷たい霧にぜんぶ預ける、あ、重たい、ちゃんと体だったのだ、ちゃんと、ばらばらに散りそうな器官をつなげる肉塊だった。どうか、
どうかあたしが間違って「おはよう」と云ったときには、誰でも何でもいいから、平たくなるまで殴ってほしいと思う。
切り絵のようにして貼りついた西の月を中指で拭おうとして、ひゅ、と喉が鳴った。




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