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[1] かれが団十郎の模倣者として
By Ryou
04-03 17:07
 かれが団十郎の模倣者として売り出したのは、明治二十四、五年の頃からであったらしい。今まで殆んど問題にされていなかった柳盛座へいわゆる劇通たちが足を運んで、その劇評などを堂々と書くようになったのも、その頃から始まったらしい。そうして、誰が言い出したのか知らないが、かれは二銭団洲と呼ばれるようになった。団洲は団十郎の雅号で、つまりは入場料二銭の劇場の団十郎という意味である。たとい二銭でも、団洲と呼ばれて彼は大いに得意であったらしい。
 こうして五、六年を送るあいだに、かれ自身も二銭の劇場には甘んじていられなくなったのであろう。便を求めて守田勘弥の弟子筋になって、坂東又三郎と改名した。それと同時に、かれは多年踏んで来た柳盛座の舞台を去って、さらに浅草公園の宮戸座に出勤することになった。おなじ小劇場といっても、柳盛座と宮戸座では格が違っていて、役者は相当な歌舞伎俳優も出演する劇場であるから、かれに取っては確かに一段の出世であった。かれはここで河内山や由良之助や、鈴ヶ森の長兵衛や、寺子屋の源蔵や、紅葉狩の鬼女や、その得意の団十郎物をそれからそれへと上演して、役々ごとに評判がよかった。それは明治三十年から三十二年にわたる頃で、その一座は中村芝翫、市村家橘、沢村訥升、先代の沢村訥子、尾上菊四郎、岩井松之助などであった。iPhone 買取 乱を以て治を攻むる者は滅ぶ ?Home
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