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愛されたマーメイドF
暗い海の奥深く。
東の洞窟に私は居た。
見たこともない海藻類が身体にまとわりつくように不気味な動きをしていた。それらを強引に剥ぎ取りながら先へ、奥へと進み続ける。
不意に脳裏に過ったのは父の何気ない言葉だった。
『お前は時々考えなしに行動を起こす時があるな』
あぁ…今が正にそうなのね…。
周りは『常に考えて行動をするタイプ』などと私を評価するけれど、思えば父の何気ない言葉が一番しっくり来る。父が暗に言うよう、一時の感情に身を任せること程愚かなことは他にない。
しかし、もう後戻りなどできはしないのだ。
蠢く海藻の向こう側から仄かな光が見えた。
がむしゃらに進んで来たせいか息が上がって苦しい。呼吸を整える為にも深呼吸をした。そして今一度私は自分に問いかける。
本当にいいの?
答えは出ていた。彼を忘れる算段ならいくつも考えた。しかし、全てが無駄だったのだ。私は恐ろしく甘い誘惑に勝てやしないのだ。胸をかき乱される程、彼に会いたい。そっと光の入口へ顔を覗かせると、一人の老女がニタリと笑って私を出迎えた。
―――いらっしゃい。
待っていたよ。老女は言った。恐ろしく頼りない姿とは引き替えにその翡翠色の瞳だけが異端な力を伴っていた。
「――――ハジメマシテ」
何かを応えようと開いた口は間抜けな挨拶で終わった。少しばかり情けない心地になりながら老女の反応を伺えばまたニタリと微笑まれただけだった。沈黙が場を覆う。老女は不思議な色の液体が詰まったツボをじっと眺めている。
何か見えるのかしら?
少しの好奇心が顔を覗かせたが、ぐっと押し留めると私は今一度口を開いた。
「あの…私は…」
―――知ってるよ、海の王の娘。お前さんが何を求めて此処に来たのかもわたしゃ知っている。
「……」
言葉もなかった。名乗る前から自分の事を知られているのは王を父に持つ身として慣らざるを得ないが、用件まで知られている状態は初めてだった為、如何ともしがたい。私は困惑した。
―――会いたいかえ?
老女の目が細められる。
「――ナニを差し上げればいいのですか?」
私はその質問には応えなかった。代わり彼女が先程から言外に匂わせている事に触れた。老女は低く笑っている。
―――頭良い娘だねぇ。しかし、可愛気が足りない様だ。
「…ほっといて下さい」
ムッとして言い返してからハッとした。老女は初対面の魔女だ。この様に軽口を叩いて良いものか。私の動揺を読み取ったのか老女はまたニタリと笑うと大丈夫だと言った。
―――さて、対価は二つだ。
それまであったフランクな空気が一瞬で吹き飛んだ。老女は私に軽口を叩かせるのも上手ければ閉口させるのも上手であった。私の喉がゴクリと鳴る。
―――ひとつはお前さんの長い髪。
「髪…」
言われてから惜しくなるのは何故だろう。ギュッと束ねた自らの髪を握りしめる。鬱陶しいだけだった長い髪は、ただ、彼が気に入っていた様に思う。刹那、彼が私の髪に口付けを落とした姿が蘇って身体が熱くなった。こんな時にナニを考えているのかと、私は自分を叱咤すれども顔を上げる事が出来なくなっていた。
―――ふたつめはお前さんの美しい声だ。
そう告げると老女はまたニタリと笑う。再び老女から緊迫した空気が消えた。掴みどころのない魔女だ。
「…こ…え…?」
驚きと同時に混乱する。
声が無ければ…一体どーやって…?
私の心の声に老女は素早く言ってのけた。
―――声がなくとも人間の女は好いた男に想いを伝える事ができる。
「え?」
ドクンと心臓が鳴った。
―――人間とは真、面白いぞぉ?海の王の娘。契約は絶対じゃて。わたしゃお前さんに尾びれを人間の足に変える薬をやろう。ただし、薬の効果は3日目の日没までよ。もし、3日目の日没までに男から愛の言葉を引き出す事が出来なければ…お前さんは泡になって消える。
「っ?!」
愛の言葉?泡になって消える?!
突然の展開に私のキャパシティーが限界を訴えた。
―――全て、お前さん次第だよ。
そう言うと老女の翡翠色の瞳が私を射抜いた。
老女が右手をふわりと掲げると握られた拳から突如小瓶が出現する。天晴れ、魔女。私が驚愕に目を見開くと老女はニタリと笑み私に選択を迫った。
―――この薬を飲んだ時、お前さんとの契約は成立する。
ふよふよと小瓶は老女の手を離れて、私の手中に納まった。其の瞬間、魔女は私の目の前から姿を消した。
後に残ったのはいくつもの水泡。
頭上にある小さな岩穴を潜り抜け水泡は太陽の輝く海面へ昇る。
to be continue...
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