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更地
 島野律子

言葉を食べつくした猫が、部屋にてろりとはみ出た呼び声をやりすごして歩き渡る。無人の柵を越えてくる木にも花は吹出しそうにしていて、しなしなの陽にまみれていた枝は暗く湿って耐えるしかないようになる。手垢の色をした受話器が真正面に見える通用口まで、見咎められることもないすすけた昼間がきて、濃い葉をつかんだまま春になった場所のように細々と立っている。段になった電線をくぐってたどり着いた道の端にも、書き込む欄はあるように見える溝の前で、切り分けられた幹に入るひびを数える。




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 如月
草の香りを織り込んだ風が
優しく空を広げていく

あたたかくつもる雪の
内側から開く胎児の呼吸

どこまでも、昇る手に
さしのべられた太陽が遥か

 *

水がすくわれていた
どこからか流れついた水が、
泥まみれで遊ぶ子供らに

紫外線を照り返す川で
いくつもの、
私たちがせせらいでいる

名前も知らない花
知らされる事もない花

すくわれなかった私の指先から
てんとう虫が飛び立とうとしている

 *

沈んでいく今日を、
許していくような夕暮れに、
溢れていた声が、
いっせいに帰っていく

コンクリートに跳ね返された、
声たちだけが
置き去りにされている

知られる事もなく
知らされる事もなく、
そっと

 *

たんぽぽだけは、
ちゃんと、
区別が出来る子供

流れていった水
すくわれなかった声
過去も、また現在も

風に吹かれて
羽ばたいていく
たんぽぽの種に憧れている子供

いつまでも、
種だけを見つめ続けている
私たちが、
ゆっくりと、いっせいに
流されていく

そこには、ただ
風が無音として
夜を、響かせていた



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明かり
 稲村つぐ


卵白に手持ちの砂糖を適量加え、泡立てること数分
それくらいの仕草で
つややかに真っ白なメレンゲは現れる

頭上の時計を見る
ルームランプが明る過ぎて
私はすぐに目を落とし
一秒ごとに侵されていくボールの白を
じっと見つめた

お向いの子は熱心で
今日もピアニカの練習に余念がない
単純なメロディ、ときどき止まり、そして戻る
メロディ
途絶えては
何度も帰ってくる、メロディ

家々の天井を透けて
生ぬるいスモッグの真っただ中へ
ささやかにも旗は、掲げられる
あらゆる種類の排気は
望まれて流れ
旗の下で渦を巻く、真っ白な私たちを
常に見つめ返している

ここに招かれたこと、ここで休まること
そしてその隙間を交錯しながら
潰れていく感情のこと

路傍の電柱も、高原の夏草も
不断の呼吸を
あるいは吹き抜ける風を裂いて
とある朝
オレンジ色に輝く、その小さな旗を掲げるだろう
地平の先にはいつも
同じ分量だけの記憶がある

私はもう一度メレンゲを立て直し
生地に混ぜ込むための準備を始めた
この生地を焼く
そう望まれて、胸元を
照り返すキッチンに寄せる



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 凪葉

昨日降り続いた雨は、まだ止んだばかりなのか、見上げた朝の空は、一面を巨大な黒い雲と白い雲とが点在する穏やかな空で、その僅かな隙間から、例年よりも幾分か熱い、太陽の光が降り注いでいた 
 
道の脇には、まだ耕されたばかりの畑が広がり、トラクターの跡だろうか、いくつもの窪みに溜まる水の中、ちょうど開けた空の青が、真新しく吹く風にゆられている
沸き上がる土の、どこか懐かしい匂い、街を城壁の如く囲み連なる山々には、雨上がりのせいか霧はなく、若葉の混じるその姿の上を、鳶が一羽、ぐるぐると気持ち良さそうに旋回を続けながら、高くたかく上昇していくのが見えた
 
 
行く道には、たくさんの花がばら蒔かれたように咲いていた
植えられたばかりの小さな桜の、淡い桃色や、畑と向き合うように流れる水路に咲く、名も知らない花の純白
まるで花束のように、一点に集中して咲く馴染み深いたんぽぽの、眩しい黄色と、
空を宿した瑠璃唐草の、澄んだ青色、はじめて名前を覚えたのだと、妻が微笑みながら言ったのを思い出し、しゃがんで、そのひとひらに触れた時、ふわり、と、あたたかい風が花をゆらして、いくつもの花びらの上から、雨の滴を落としていった
 
 
くねくねと続く道の先の、一番大きな曲がり角を越えると、またひとつ大きな畑が広がっていた
その畑の向こう側に植えられているりんごの木々には、黄緑色の若芽と、赤い色の小さな蕾が生え、その近くには、梨の木が白い花を咲かせている
畑の隣には別の畑が広がり、その隣にまた別の畑が広がる、その連なりの合間を縫うように、古い家が崩れそうな具合で建っていた
 
 
見上げると、さっきまで空に点在していた巨大な雲の群れは、薄く伸ばされ、消えてしまいそうなくらい透明になって、後ろに在る空の青が微かに透けて見えていた
ふいに、砂利を踏む音と共に、前方の畑に乗りかかるようにして停車してあった軽トラックが動きはじめ、私の進む先へと、ガタガタといびつな音を鳴らしながら走り去っていった
その姿をぼんやりと見送った後、ふと視線に見える山の麓辺り、目の前にある木の間から、光の曲線の一部がうっすらと見え、
よく見ようと少し場所を移動してみると、それはやはり虹で、山の麓から隣の山の頂き辺りまで、橋のようにかかっていた
 
 
軽トラックが消えた畑の中には、よくみると年輩の女性が、腰を屈めて農作業をしている
時折吹く爽やかな風に体を持ち上げるわけでもなく、ただひたすらと作業を続けている
虹、虹には気づいていないのだろうか、そう思いながら、さっきよりもやや歩調を落としつつ歩きはじめた
女性の横を通り過ぎた直後、ひとしきり強い風が吹いて、春のやわらかな匂いが轍となってやってきた
虹はまだはっきりと山から山へとかかっていて、しばらくそこで立ち止まり眺めていたら、急に、たまらなくなって、その場で振り返り、女性にむかって、薄い光が射す虹のかかる辺りの空を指差して、虹が出ていますよ、と叫んだ
すると顔を上げて、虹に気がついた女性は、すぐにこちらに振り返り、ありがとうと、手を上げて、帽子の下、しわくちゃの顔でにっこりと微笑んだ
 


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アリッド
 嘉納紺


雨を知ってる

サクラチラスという何の器官
子宮を影になって覆ってた
可憐な醜さに穴を空けてやる

だから雨を知っていた

いまがどこかにあるんだとして

だけど雨しか知らないぼくは

冷めたサクラチラスを握り
満開の櫻の下で破裂する



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肉と本
 漆子


早朝の雪の様な白を袋詰めにして大切そうに抱えていた君は今隣に居て…
…靴の皮を煮込み食べている

父の乳を吸って起こった発育
海の竈の光景に地獄を視たよ

よく抜けるこの左腕に握らせる
涼味を求め彷徨い着く正座の囁き

頭の玉を掘って起こった発狂
制服は貸与でなく購入したんだ

重いながら罵る姿に憧れて
君の形に 嗚呼 焦がれて

からだには甘さを垂らしたがる人間の棘も
空文めいた苦言の唾で絎け縫った
十目の見るところには帰れない




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無題
 ちよこ

一階はおもいでのくに
母のおさがり
穴あきのセーターは優しい
階段はまろぶようにして
五線譜のからだ
安心して
おばけはこれないから

陽はとても新しくいる
空は昇り続けている
あのね
つながり続けることにはどうして
小指の一握りが
そらおそろしい

どこかほつれている
上手く眠れないうた
大切な癖を
忘れたような気がするけど
まだ
とめどないから

ねえ
たくさんのものが
美しくあって
正しくあって
わたしたちわからなくなってしまうね
ひどく
傷ついてしまうね



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つばくろ
 ピクルス
 

いつもとは違う道を帰った日の彼女
もう歩けなくなって
駐車場の水溜まりに降る雨の波紋を見ていた
つめたく完璧な丸を描いて
にびいろの波紋は静かな口調で責めるから聞いてしまう
そうだね幾つもの波紋を通り抜けて
私達うまいことやったはず
なのに
彼女は催眠術にかかったみたいに
いつまでもいつまでも見ていた

特売日に怒ったような顔で叩くレジ娘
独りの時は、どんな顔をしてるの?
少し飽きはじめた売れ残りのパンを
うれしげにかなしげにちぎっては
諦めながら池の鴨に放る
群れは
修羅のようだ
なにか云いかけて
また四肢を縮めた

信じること
傘をさしたなら雨には濡れないと思うこと?
そうじゃないそうじゃない
最後の硬貨を握り締めて
広場の水道で
がぶがぶ飲む
水を、もっとたくさんの水を
言い損なって
聞きそびれて
いらくさを着るようになった

宥めてもなお燃ゆる望月は
街中の猫と犬を集める
よもすがらむせぶチグハグの
縫い針に謝っては
一匙ずつおすわりさせて
ウミネコの鳴かぬ海に返しておくれよ
ひとつとしてまっすぐのない海岸線から
また帰り道が始まる
 


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