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宅地
 島野律子


ゆがんだアスファルトの道をちりちりと光のない蛇がくねって、柵に囲まれた林の方へ渡っていく。肉をつかむ形に盛り上がるブロックからは水がこちらへとのびあがってきて、みっともなくついた足も追いやられてしまう。あの跡を、この車輪は踏んでいくんだ。白い葉にすくんでいる枝の間へ這い入る姿勢をして、まき上げられた雲をくぐりかけているあの囲いは、ほんとうに人用なんでしょうかと尋ねていた。花びらが所在なげに貼りつく暗い窓の、人の名前を覚えなくてもいい場所から、明日があるように指を曲げてぞろりと剥がれてきたのに。脹れの引かない道を通るのは止められないでいる。



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アイデスの日々。
 川鱒


 パルテニアスはずっと彫像を彫り続けている。梟の形をしたやつ、がっしりとした枝に喰らいつくような鉤爪と、どこか間の抜けた大きな目。僕はコーヒーが冷め過ぎる前に、彼の口に運ばれることを小さく祈っている。そんな奇跡があれば、きっとこの世界にも変化が訪れるかもしれない。そんなわけで、僕は毎日パルテニアスのためにコーヒーを淹れて、彼の作業テーブルの端っこに置いておく。



 寒い季節が終わりに近づいている、ストーブを使うのも今月一杯だろう。僕たち(僕やパルテニアスやイサーン、それにマロやミア…それ以外にもたくさんの人たち)は樹形図のように広がる細い川だらけの土地、このアイデスに住んでいる。一年の半分は冬で、深く雪が降り積もる。夏になれば魚達が日陰に逃げ込むくらいまでは熱くなるけれど、くろくま達が熱中症になるというほどのものでもない。



 川は、一番大きな流れで川幅100インチほど、小さな流れになると幅は10インチも怪しいほどになる。だから、ここで暮らすということは飛び石のスペシャリストになることとほとんど同義だと言っていい。なにせ、きみが足の裏に痛みを感じるほど歩く間に、飛び越えた川の数はきみの年齢をとうに超えている筈なのだから。(もちろん、年齢なんて概念はほとんどここでは意味がないけれど…)アイデスはそういう土地だ。



 僕とパルテニアスは、比較的幅の広い流れのほとりにログ・ハウスを建ててくらしている。三角屋根のこの建物には部屋が四つある。僕とパルテニアスのそれぞれの寝室、ベッドと机を一つずつと書架を一つ置けばスペースはほとんど残らない。そして、リビング兼パルテニアスの作業場であるこの場所。僕の身長よりも2インチほど長い作業机兼食卓テーブルが据えつけられ、簡素だが十分なキッチンから湯気が上がる。燃料は薪だが、かまどのつくりはしっかりしているので煙がこもるなんてことはない。炊きつけのためのシラカンバの樹皮もたくさん蓄えてある。



 もちろん、僕をなんと呼ぶかは諸氏に委ねられている。というのも、僕にもパルテニアスにも本来的には名前はない。僕たちは(記名されぬ者)という階層に属し、名前を持つことを許されていない。ぼくたちにはこれから、はない。これまで、もない。凍死寸前の身体を引きずってここに渡って来た日、僕たちは全てを与えられ全てを剥奪された。さもなければ、この邪悪な湿地帯に家を与えられることなど出来ない。どのような建築法を用いても、この土地は許されざる家を飲み込んでしまう。実際、アイデスに許されない方法で入り込む者は稀にある。でも、そういう人間は全て地の底へ落とし込まれてしまった。



 僕たちは、家を与えられたときにお互いの渾名を決めあった。でも、何度も言う通り僕らにはこれまでも、これからもない。だから、この名前が何かを意味するなんてことは考えないで欲しい。ただ、きみたちになら意味を汲み取れる可能性はある。というのも、僕たちは全てを断ち切られているけれど、きみ達は断ち切られていないからだ。僕のことは(川鱒)と呼んで欲しい、少なくともパルテニアスは僕をそう呼ぶことに決めている。僕が彼を(パルテニアス)と呼ぶように。



 僕の仕事は書くことに他ならない。ここに来たときからずっと書き続けている日記が、僕の唯一の仕事だ。ある程度溜まると、官吏がやってきて残らずそれを持っていく。だから、僕の手元には数冊のノートがあるだけで、これまでもこれからもない。そして、この日記は読者に向けて書くように義務付けられている。パルテニアスの仕事が彫ることであるように。ここにある全てのものは、一義的な意味以上のものへは絶対に接続されない。例えば、僕は日記を書いているだけであって、それ以上の何もしていない。それが僕たちの仕事だ。それをしている限り、僕たちには暖房用の薪も鱒を釣る釣り針も、砂糖や粗く挽いた大麦も必要なだけ与えられる。日記のできが気に入られた時にはコーヒーだってもらえる。



 ここにはおはようがある。こんばんはもある。はじめましても(本当に稀なことだが)ある。ただ、さよならだけがない。アイデスはそういう土地だ。そして、僕は(川鱒)に過ぎない。語るべきことは一つもないということが語るべきことなのかもしれないと、梟の彫像を彫りながらパルテニアスは言う。僕もそうかもしれない、と思う。官吏が、皮のブーツで泥を踏み散らしてやってきた、彼らの足音は常に聞き分けることが出来る。歩幅の調子が一切狂うことがないからだ。野の花にみとれることも、大鱒の身じろぎに見惚れることも、彼らには絶対にありえない。



 (川鱒)という響きが僕はとても好きだ。(パルテニアス)という響きも、きっと気に入ってもらえているんだと思う。ただ、それぞれの言葉が魚の名前や、人名のようなものであること以外、僕たちには何もわからない。でも、とにかく語れといわれたのだから語り始めなければならないのだろうと思う。雪の季節の終わりはいつも心地いい、からからに乾いた靴下に足を通す時みたいな気分にもなれる。官吏さん、よければもう少しだけこれを読み返す時間をくれないか、と僕は言ってみる。どこか間違った箇所があったかもしれない。でも、ここにはこれまでやこれからのように間違いというものもありえない。パルテニアスが冷たいコーヒーを啜り、戸口に泥を残して官吏が去っていく。陽が落ちる。




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記憶の刑罰
 干場朋子
 
街へ行く
大きなバスは、
途中で炎上した。
コインロッカーには
切断した身体がしまってあって、
ああ私は、
何を考えていたのだろう。

学校には視聴覚室があって、
彼や彼女と
彼や彼女が
いた。
街にくり出す
スカートの残像。
廊下を鳴らす、
スニーカーの音。
記憶は
パラパラパラパラ
最上級の刑罰。

バラ園に住む、
彼の元に転がり込むよ。
自らの病を喜ぶように、
誇りに思う、
つまらない事。
つまらない話。

服には、
きらきら光る、
蜘蛛の巣がかかっていて、
靴には、
真珠のような
ねずみの死体が入っていて、
それで、
私は
バスの一番後ろの座席で、
花瓶で殴られ、
ベランダから、
花畑に突き落とされ、
でもそれは
それだけで、
それぐらいの事。

それから
茨の林に出かけて行く。
枯れ葉の下には、
無数の虫が、
私やあなたが。

血を吐く経験は、
拷問の快楽。
あなたとの快楽。
私だけの快楽。
たくさんの快楽。

彼等はエゴ。
醜悪な嫌悪感、
不快感。
私はあなたの子を生んで
また、そして、
くり返す。
自らの拷問を与えて、
自らの拷問に手を下し、
子をいじめ、
子を殺し。

街に戯れる制服の日々。
衿元のループが、
白いYシャツの、
金のボタンは、
巻き毛の間の、
ピアス、
指輪、
衿元のループが、
さらさらとほどけて、
ほどけて、
風に、
風に、


風に。


 


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五月 断片
 如月
 

 一

鎮痛剤が開かれるように
始まる
アルコールの切れ端で拭う空が
落ちている影の片隅に
染み渡っていく


 二

雀が声を忘れていく道
そっと、置かれた言葉で
みたされていく三半規管


 三

溶けようとする
水とオリーブオイル

乳化しきれないでいる僕らが
揺られながら、揺れながら
きめ細かく小さな
気泡を擦り合わせていく

茹で過ぎたパスタだけが
いつも密かに
片付けられている


 四

子供の笑顔に壁が震える
突き抜けるような空に
くたびれている鯉のぼり

新聞紙の兜の折り方を
思い出せないでいる指先


 五

女の前髪のように
しなやかな影が伸びていく
忘れていた声を拾う帰り道

連れて帰るものは
少ない方がいい、と
背を向ける

染まっていく今日を
結べずにいる前髪


 六

いつまでも子供と
膝をおる男

とめどなく、
揺れる三半規管で
きめ細かく小さな
気泡を作りあげ
溶け込もうとする


 七

窓枠に切り取られた空
なぞる手のひらが
探している歌
遠い日の声

 


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無題
 漆子



胸の谷間には見慣れた行列がある
私の前に並ぶ人にも腸がある

「本日の戦利品は彼にしましょう」
それは誰かを守る為の算段





投下
月へ失望を
凍死させて乾かして蝸牛のように縮ませたら
油を注した吸盤で思い切り吸い込んで

不始末
私は息を乱さない
私は異議を発さない





家は何層かに分かれているのだと思った
私は一番小さそうな層を引っこ抜いた


私には
どれも一様に見えて仕方ないので頷いた





こっちへおいでと誘われて、ぶるりと悦びにふるえる。




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無題
 ちよこ


ずん、と胸の奥の方、手を当てて泳いでみて下さい。白い息をゆっくり呑み込んでゆけば、ほら。

少しぼやける右目のあたり、走馬灯のように、海のおと。憧れの向こう、指先から唇の色、いつくしむ唄。唄った声の持ち主を知る僅かな星の砂は、波音にさらわれてちらちらと光るばかりです。とても愛しい、見知らぬ貴方。

左目は確かに聴こえるので、遠くに耳を澄ましてみます。すると悲しい顔した船舶が、瑠璃の手紙を運んできます。影法師を滑らせた空が曇りだし、沢山の雨音に私の海、は千切れてゆきました。溢れて、ゆくのです。

碧色の世界が転落して、私の瞼は思い出したようです。湿った睫毛のビロード。最後の海を拭う指。

貴方、やっと出逢えましたね。

ооооооооооооооо

眠り姫、君を映した泪月。今は幼い掌に、朝霞の氷点下を感じませんか。頬に色を、撫でるように重ねます。眠り姫。どうしてそんなふうに、幸せそうに睫毛震わすの。傘を。眠り姫、君を映した泪月。その暖かさにさらさらと、君のいのちが溶けてゆくのを感じませんか。粉々に輝く海に、私の匂いがあるでしょう。舟を。君になら、何度だって出逢うよ。

葉脈を越えて、精一杯唄う。







唹咽が頭に響いて、少しのめまいと夜の星空を温めています。私は足の先から見つめては、泣いてしまった後の不確かな残像をなぞっているのです。そう、昔貴方に頂いた小さな真珠の小箱に籠めてみようと思うのですが、瞼の辺りに仰々しくすがりついている後悔が念を押して、囁きます。

忘れておしまいなさい。忘れておしまいなさいよ。さあ。

こおりみずをすくう真似をして、それを湿った土壌の上に染み込ませてゆくのです。頑なこおりの粒は、私の掌の熱をすり抜けて柔らかな茶色を透かしながら、勝手な輪郭をなくしたままで寝台に横たわるのです。

そのまま時が流れてゆくならどんなに幸せなのでしょう。まるまって眠る私のからだに降り注いだ感情を、躊躇いもせず手放せるほどの鮮やかさで留めておくことができたなら、私は深海魚のお隣で遠くなって祈ることもできたのでしょう。なくしてはいけない、とは大げさな言葉なのです。






君が僕を見て、僕が君を見て、震えた繊維のような空気を。そっと、僕だけの。空間の鮮やかさ。3グラム先の君が、3秒を数える私が、小枝の距離で揺らすように一歩、一歩。頬は染まっているでしょうか?

ぽつんと、降ってきた、君の口元から。もう一度確かめて、それから微笑んで、伝ってゆく。君の胸のあたり、少し痛くて、始まりのように真白い、冷気を撫でる、ウェーブの。隔てる霧を、近づくほどに暖かい蜃気楼を、水滴を纏う硝子窓から見つめること。君の軌跡に沿う、仕草を。

描かれた声を、ゆっくりと映し出す瞼を飲み込んで、力を込めた人指し指の先。







(心を込めて)

あの方のお空には、真っ白な世界が住んでおられるのでしょう。その世界に満ちる澄みすぎた空気を、少しずつ少しずつ掬っては、私には見えない言葉を小さな音階にのせて、広すぎるその世界の真ん中で歌うのでしょう。(誰に向けて?)さらさらと。(私なら窒息していたでしょう。)溢れ落ちるミルク色の涙を目の前で転がして、心を痛めながらも歌い続けるあの方の輪郭ばかりが目に焼き付いていて。その度に追い付いた言霊が輝きを増してゆくのに、あの方は自らの世界で傷ついてゆく。ほら。願いばかりが隔てるものの無い空へと放たれて、雲を集めて雨を降らしています。(蒼いままで。)絶えきれず手を伸ばしたら、あっけなくも触れた暖かさに胸が突かれて眠りの海へ堕ちていましたた。一秒毎に抱きしめて、一緒に歌えたらいい。あの方は、独りではないのです。









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リボン
 ルイーノ


プラネタリウムに
無数の鉤き傷

取り返しようの無い
毒素に沈んだ
抱かれ易い鑑賞魚

底冷えのする水槽から
甘い
パステルの音階を
引き伸ばして
熱のあるときは
いつも
泣く以外に
なかった
死ぬ以外
真実は在るか
眠る以外
逃げ出す方法は
在るのか

よく晴れた
木漏れ日で未練

まぶしい程の

ポインセチアの反乱に
狼狽える
視線が
涙ぐんでしまうとも


鈴の音は聞こえる

沈黙の夜の
つめたさ
振り上げられた斧が
幹に食い込むその瞬間
ぼくはきっと
謝ろう

歌う時間なら
いくらでもあった

しあわせな子供
あそんでいる子供
ねむっている子供
泣きぬれた子供

百万の色のリボンに
この魂がなればいい

それは命の綱
かすかな望みの
ミルクの道

子守歌の暖炉は霞み
悪酔する水銀の星に
顔を覆うのは獣の指先


だから贈り物だけでいい



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それからのパスカル
 ピクルス
 

奇跡の海を捲ってゆく
あれは、トリだろう
やさしい星
此処からもよく見える

あれあれ
六月の堤防の向こうには
カワウソが佇んでるよ
(おやおや?
泣いているのですか?)
(いえいえ、急に右手が無くなったら誰だって驚く事でしょう)
違いますか違います
かれたのですか
かれたのです
だからカワウソじゃない
だってカワウソじゃないよ
やさしい星
真珠色そのハネ
イッチョクセンの蕾

カワウソの雀色の掌
其処には何が残ってる?
ねぇ、何か残ってる?

(何かあったのかい)
何もなかったように
何もなかったよ

(花は咲いていますか)
最期のトリは翔びました
此処からもよく見えました
だから掌の中は
うんと溢れています
(そうですか
よかったですね)
(そうですとも)
やさしい星
堤防の隅から
カワウソは
すれないように
かないように
名前を喚びながら
いつか
鈴が鳴って鐘も鳴って
御花が供えられたらよいな
ええ
カワウソじゃない
じゃないから

(ごらん、光ってる)

まったく
ですね



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