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再生
 中村かほり

 夜と朝のあいだに街へ行き、さびれた時計屋の階段をのぼる。閉ざされた扉に寄りかかると、さまざまな時計のさまざまな針の音が、わたしの背中をよわく撫でた。針の音に合わせてまばたきをする。規則的なその音は、心臓の音に似ていた。
 しばらくすると遠くのほうから、彼らが、わたしのもとへとやって来る。いままでも、そしてこれからも、彼らが何者なのか告げられることは、決してなかった。おそらく幽霊なのだと思う。いつだって彼らは、街灯の下、ほそく伸びたわたしの影を、奪おうとしていたのだから。
 足のない者。舌のない者。顔のつぶれた者。はらわたのこぼれた者。ひとめ見るだけで、死因はわかってしまうのだった。彼らがここにとどまりつづけるのは、意志なのか指示なのか、誰も知らない。
 彼らははだかだった。死ぬさいに、なにもかもうしなったのだろう。名前だけが、彼らの所有する唯一のものだった。針の音をききながら、わたしは一晩中、彼らの名前を呼ぶ。ひとりひとりの名を、ゆっくり、はっきりと呼ぶ。それは一種の祈りであった。
 呼ばれた者は、南の空へとのぼって行く。東の空、北の空のときもあった。方角などはどうでもよかったのだ。彼らは再生するのだろう、再生するのだろう。
 そうしてふたたび生まれた彼らが、誰と生き、誰を産み、何を食べ、何を飼い、やがて死に、また、生まれたとしても、それを知ることは、わたしは永遠にできない。
 街灯のあかりが、朝の光に溶け、朝の光が、街灯のあかりに溶ける。遠くのほうまで、彼らは列になって、わたしに名前を呼ばれるのを待っていた。これからもわたしはここへ来る。ここへ来て、彼らの名前を呼ぶ。それはおそらく、さびれた時計屋の針の音が鳴りやむまで、つづくのだった。



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ジュハフェムのこと
 ルイーノ

 セボケベヌは常に、強烈なゾフで覆われている。タセル色のゾフの燐光は妖しい。遠く離れたここハヌトからも、鮮明にその様子は観察が可能だ。だから二ェスガからコエパに向かう人々は、レアサベンにはセボケベヌは避けてハヌト経由のルートを取らなければならない。そのレアサベン客を捕まえてコヌーグするのを、ここ数年ぼくはデキュレドにしていた。

 今日は早いうちから、ゾフが一段と騒いでいた。地平線からタセルを帯びたフラガが薄暗く迫る。これも実際気味がいい光景ではない。それにぼくは、こんな日にレアサベンしてくる奴など、それなりの奴でしかないのを知っている。ぼくは上客としかコヌーグする気はないのだ。どれくらいの間だろうか、辛抱強く待ってはみたものの、時間の無駄としか思えなかった。ぼくは溜息をつくと、クリュメラを適当に片づけ、エザデンに帰ることに決めた。

 エザデンに帰ったぼくを見て、ジュハフェムはびっくりしていた。

「あれ?デキュレドはアヌートなの?」
「ああ、今日はアヌートだ。」
「そう、ちょっと待って、ナユミラを冷やしてあるんだ。」

 シャマに腰掛け、ナユミラを舐めるぼくに向かって、ジュハフェムはミミンデした。振り返ったぼくがジュハフェムのセヌーバを捕えようとふざける。ふとその時、シャマの上には1デジュのコルカノを見てしまった。不審に思ったときでも、ぼくはジュハフェムに軽く尋ねる。

「これなんだい?」
「あ、コルカノ、ウェクライが置いていったの」
「ウェクライが来たのかい?」
「そう、さっき」

 厭な気配がやってきた。ぼくのロベンには、オゼーム色のルゼックが浮かび上がっていた。ジュハフェムは弁解を試みようと、しきりにミミンデレを揺らした。何故ウェクライを。知ってるだろう、あいつはフレコマーベンではデアモクトだった。デデサクルを安易にエザデンへ入れたジュハフェムの行動の理由がわからない。コルカノが欲しかったの。ジュハフェムは裂けるようなナサムを広げた。それをぼくのルゼックが粉々にする。ナユミラが逃げ出し、シャマにぶつかって大きくはじけた。ジュハフェムはサキド色のルゼックを放射状に尖らせ、先端を細かく震わせている。

「ぼくはウェクライを許さない、殺してやる」
「やめてよ、お願いだよ」

 怯えたジュハフェムのラサルトが、だらしなく身体の合間からはみ出した。ぼくはその構造を、誰よりもよく知っている。無言のまま近づくと、ぼくは小さくなったミミンデレを乱暴に掴んだ。ジュハフェムは泣いていた。ナサムが粘り気たっぷりにまとわりついてくる。ラサルトは烈しきタセルに染まっているのだ。畜生。裁くような気持ちだった。そのまま腕をとり、強引にジュハフェムを立ち上がらせると、ぼくよりも早く、ジュハフェムがぼくの眼を見ていた。その顔は、セムヌマノクを連想させた。


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脱線
 ルイーノ

重温き塊の交錯
真夜中の線路を駆ける
焦燥列車の脱線惨事
命が
時間が足りないとは
どういう事か
お前は識る

目撃者なしの嗚咽
報われなかった該当者
高く高く昇る夜
大気にしがみついている
魂を払う銀の丸

怒りの池は熱に微睡み
広葉樹たちの淋しい目醒め
呼び掛けたなら
応えるだろうか
指を延ばせば
触れ得るだろうか
鼓膜を破る烈風に立つ
遠く遠くの淡い波形

耐えたのは誰だ
赦したのは誰だ
差し掛けの紅茶
色を待つカンヴァス
アルバムなんかを
開くのはやめろ
寝室に
そして階段に
また諦めが満ちたとき

軟らかに走り去る


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大洪水のあとに。
 雪村羽音揶

 リネンのピンク色でリネン
 信念に近いものほど紛れ込んだ忠誠も
 曖昧無味の真ん中に 
 さあ既にもう理性の登場を待っていた
 まだまだまだ まとう
 ランボオとカフェモカとフライドポテト
 ほかに世界があったのだろうか
 何かからどんどん僕が切り離されていった


*
 ささやきと漏れ声にあふれた
 ちいさなちいさな
 薄明かりの中で
 寒い冬空にからみあう君との
 薄暗いアパートのたった七日の遁走は
 音もなくさらさらと溶け出して
 あっとゆうまに赤い結晶にあがりました
 僕という現象の袂で揺れています
 ああ
 君を分解するためのささいな儀式は
 飽和した時間感覚のなかで
 色あせながらもビードロを磨く素手のように
 くり返しさすってきた次第です 

*
 僕はそろそろイルミナシオンを描かなくちゃいけない
 これは土の精霊との取引ともいうべき?フィーリング
 君と僕との駆落ちは一週間
 世界を一周語ることもままならなかった
 フィーリング?カフェモカとフレンチフライの他に何もない
 ぬくもりと眠りと ベッドの中だけの
 君は、ランボオじゃないしね
 愛するがゆえにいつもイケスカない僕がかい
 苦悩するままに叩いた頬は
 君に赤みを点したようで
 僕は傲慢にも 愉快だなんて笑ってしまう
 ああ 笑うなよ、フィーリング?
 ビードロの中で回転がかる時間
 紐でつるし上げた世界を
 反転させると僕の意識は突出する

*
 そろそろ描かなくちゃいけないこの僕の
 ピアニストに向かない指先は
 少なくとも君の抱くヴィオロンに
 君が最も嫌がるヘルツでチューナーをかけて、
 さ、 ああ くすぐったくて缶コーヒーも
 良い具合に響きだすのだから
 いつもより星がまぶしかった
 君を永遠にするための必然
 そうオリオンを瞬かせるために
 もう少し時間を遅らせてみたらどうなの?
 窒素酸化物で曇りがちな夜空にも
 屈折した愛なら届くはずでしょうから
 そう、すこし、やかましい愛し方だと言って
 そのすぼめた唇はこちらへ向けていないで
 香り始めた鈴蘭の根元を掘りおこしてみようよ
 皐月の雨上がりは湿った土のにおいと
 どこか遠くからの木立のにおい

 緊急警報はきっと、僕よりも刺激的で、かつ
 濃厚な音を鳴らすのだろうから
 僕は国境の向こうから聞いているよ   

*
 ああ
 描けそうな力が訪れるその瞬間を
 こぼさないように震えながら掻き抱いて
 まやかしの魔法でないことだけを
 ひとりよがりに確かめては嘆いて
 どうか!
 拙さだけは憎しみに直結していて
 眼差しを遮るコバルトブルーばかりが揺らいで
 明け方に剥離してゆく夜を突貫するものは
 もういない、だなんて
 宇宙の向こう側からじわじわと人間にかぶさる影から
 差し出された永遠を食いつぶすことでしか
 ああ
 世界から切り離された夜更けを手にできないというルール?
 がんじがらめの両手足が時間に引きずられて
 パチン と膨張する

* 
 大洪水の跡地には
 かつて少年でありたかった少女達が
 人魚のように横たわっている
 見渡す限りの背景は遠くに浮かんだまま
 また誰かのフレームに焼き付けるまでは
 行方不明のまま


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夏の鍵盤
 藤丘

擦り切れている背表紙を
後生大事に持ち歩く
付箋に躓くことを繰り返してしまった

左手には一束のシャレード
紐解いている間に
夏の森は
微笑や涙やトキメキを頬張って
色彩を奏ではじめている

私の暮らしに
あなたは深く関わり続けていく

三階から臨むなだらかな草原の
青く茂った其処は
深々と眠る緑の種を抱き続けるのだろう

光の中に音が宿っている
時おり耳を澄ませて写し取る日々の中で

象牙色の鳥たちは
カレットを啄ばみ
気紛れに
黒く目を伏せた枝に留まる

眠らない弦は日時計を巻き戻している


もう忘れられてしまっただろうか
あなたに届けたあの曲には
ささやかな願いをこめた

穏やかに忘れられていく窓辺
記憶の風が雨を呼ぶ

セレナーデ

うまれていく

きえていく

夏の音色は
綿雲に掴まれた水に凭れながら
雨の指先が
風通しの良い草を弾いている

傾いた月
インクに眠っている声
音域に畳まれた余韻が沈黙を解く
求め合う音が
微かに聴こえたような気がして

一冊の暦と
夢を見ないランプと
残された指

翳りの沈め方を探っている

僅か数分の
物語が降り注ぐ身体一つ分の空を捏ねて
雨粒が瞬く


あなたの手紙を読み進めるための
朝の瞳がほしい


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