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カチ、と銀色の使い古されたジッポから焔がゆらりと揺れ、煙草の先端に小さな火種を作った。 愉しむ為というよりは殆ど癖といったものに近いその挙動を、俺はただ彼の側で傍観をしている。 士官学校を今年卒業し、配属された念願の現場で捜査のイロハを俺に叩き込んでくれたのが彼だ。 いかにも現場叩き上げといった風情で、短く刈られた髪と無精髭には白いものが混じっている。 「今から会うのは史上最悪の連続殺人犯…猟奇的殺人を実に百数回繰り返して、逮捕された」 覆面パトカーに背中を預けて紫煙を吐き出していた彼が、何の前触れもなく呟く様にそう言った。 そもそも俺は何故彼が事件の現場ではなく、事件とは何の関係もない古びた洋館の前に車を止めたのか、その理由すら知らない。 おまけに会いに行った相手は殺人犯と来ている、益々俺には理解し難い事だと思うしかなかった。 「数百、ですか」 ありふれた、月並みな質問だ。 彼もそう思ったのかフンと軽く鼻を鳴らしてから、地面に落とした吸い殻を靴の踵で踏み消した。 「それも全部研究のためだ。アイツには男の恋人がいたが、ソイツは生まれつき身体が弱くて不治の病にかかっててな。アイツは自分の恋人がいない世界なんか、意味がないと思ったんだろうな」 そう言って彼は、どこか遠くを見る様な眼をして言葉を切った。 何か思い出しているようで、その実何も考えていないのだろう。 彼ほど物思いに耽るという行為が似合わない男はいないと思う。 「不老不死の研究を始めて……結局完成させちまったんだよ」 がりがりと白髪頭を掻いて、彼はさも面倒臭そうに吐き捨てた。 ありえない、そう思った。 だが彼の表情からは嘘を吐いている様な様子は見られなかった。 今の今まで空想の世界の産物だった筈のそれが突然現実に姿を変えて現れ、俺は面食らっていた。 「アイツは500年の刑期を終えてここで暮らしてる。蛇の道は蛇って言うだろうが?聞けば事件について何か分かるかもしれん」 ああそれから、歩き出した彼が急に振り返って俺と向かい合う。 節くれだった右の人差し指を俺に突き出し、彼は何時になく真剣な表情をして俺の顔を見上げた。 「見た目は紳士だが、中身はイカレたマッドサイエンティストだ。元は優秀な科学者だからなまじ知恵がある分、質も悪い。必要な事以外絶対に喋るな。アイツに余計な情報を与えんじゃねえ」 「…分かりました」 「よし、じゃあ行くぞ」 彼の右側、半歩後ろをキープしながら俺は洋館の敷居を跨いだ。 吹き抜けになった広い玄関ホールを抜け、正面の階段を昇る。 館内は綺麗に掃除がされており、幽霊屋敷のそれとはほど遠い。 奇妙なのは塵一つ被っていない家具があっても、それを磨く使用人の姿が見当たらない事だった。 ひっそりして人気もなく、本当に人が住んでいるのか疑問に思える程館の中は静まり返っている。 掛けられた絵画を一つ一つ眺めながら階段を昇っていると、前を歩いていた突然彼が振り向いた。 「キョロキョロするな」 「いてっ」 小突かれた頭を撫でながら、俺は渋々といった体で足を早めた。 毛足の長い絨毯の敷かれた廊下を通り、突き当たりの一番奥にある扉の前で彼は徐に足を止める。 ゴクリ、と唾を飲み込んだ。 扉の向こうで俺達を待っているであろう人物のイメージが、脳内に勝手に浮かんでは消えてゆく。 メッキなどではないに違いない、金に光るドアノブに彼が手を掛け、先陣を切って部屋に入った。 広い窓から網膜に突き刺さる陽光の眩しさに目を細めてから、俺は窓際に立つ一つの人影を見る。 「見ないうちに随分老けたね」 「余計なお世話だ、バカ野郎」 穏やかな口調で繰り出される軽口に、彼が不機嫌な声を返す。 瞬きを繰り返してようやくクリアになった視界に飛び込んできたのは、優しげな笑みを浮かべてそこに立つ一人の青年の姿だった。 「ユアンの新しい部下かな?」 「ああそうだ」 「どうぞよろしく」 イカレた科学者(しかも同性愛者ときてる)と聞いてさぞ奇抜な風貌をしているかと思えば、英国の貴族にも遜色ない男の優雅な佇まいに俺は完全に動揺していた。 洗練された仕草で右手を差し出され、握手を求められているのだと気付くまで数秒かかった程だ。 癖のない長い茶髪を一つに纏め、頬の横に余った髪を一房はらりと下ろした髪型は紳士と言うより淑女のそれに近いかもしれない。 片レンズの眼鏡の奥でキラキラ光る明るいブルーの瞳は、青年というには余りに深く、重ねた年月の憂いすら感じさせる物だった。 その内側に宿る叡智の深さを窺わせる、思慮深い視線に射抜かれ、俺は一瞬で彼に何もかもを見透かされている様な錯覚に陥る。 「名前を聞いても?」 「…え?あ、俺はジョン……ジョン・ウィンチェスターです」 「ウィンチェスター…あのアメリカの銃器メーカーと同じ?」 「名前の通りそいつは鉄砲玉だ。間違った方ばかりに行く、な」 カラカラと乾いた笑い声を上げた彼に合わせ、青年もまた目と唇の端を微かに上げて微笑んだ。 一瞬にして熱くなった顔を隠すため俯いた俺に気付いたのか、青年は失礼、と断り口元を抑える。 「お前も二人に挨拶しなさい」 彼は顔を上げて俺達の後方、隣の部屋へと続くドアを見つめた。 それに倣(なら)い俺達も後ろを振り返ると、やがてそのドアがゆっくりと向こう側から開かれる。 歩み寄った青年に向かって何事かを喋る声が聞こえてきて、それからすぐに車椅子が姿を見せた。 「あの、はじめまして……」 車椅子を押され姿を現したのは、フランス人形の様な華やかで可愛らしい容姿をした少年だった。 大きな碧眼はどこまでも澄んでいて、蜂蜜色のふわふわした巻き毛がたっぷり腰まで流れている。 人に慣れていないのか、抜ける様に白い肌をほんのり朱に染めて俯く様が何とも可愛らしかった。 差し出される小さな手のひらを握り返して、初めましてと声をかければ、彼は嬉しそうに微笑む。 「アンジュ・ルイスです」 「名前の通り、天使(アンジュ)みたいに可愛い子だろう?」 心酔しきった口調でそう言う青年に、俺は曖昧な笑みを返した。 青年のアンジュを見る目は、夢見る様な、とでも言えばいいのか、兎に角少し常軌を逸している。 溺愛などという言葉では言い表せない様な入れ込みぶりだが、当のアンジュは恥ずかしがりはするものの嫌がる素振りは見せない。 これはこれで一つの愛の形、良く言えばそういうことだろうか。 たった一人の恋人のためにその他大勢の人間を殺すなど、常人には真似できない所業を為してもなおこうして平然としていられる神経が俺には理解できなかった。 「今年でいくつだったかな?」 「56だ」 「あと四年か…君に会えなくなるのは、寂しい気もするな」 「俺が定年退職したら、遠慮せず茶にでも呼んでくれや」 「勿論、貴方なら喜んで」 立ち話もなんだから、とソファを勧められ腰掛けた俺達を前に、青年は朗らかに会話を進める。 聞けばアンジュ以外の人と話をするのはかなり久し振りらしい。 屋敷がにわかに賑やかになるのが嬉しくて堪らない様子だった。 「仕事の話は向こうで。アンジュの耳にそういう話は、ね」 含みを持たせた口調に、俺と彼は頷いてからカップを置いた。 仄かに香る紅茶の香りを残し、俺たち三人は揃って席を後にする。 心配そうに俺達を見つめるアンジュの表情が、それからしばらく俺の脳裏に残って消えなかった。 END
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