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カランと乾いた音にわずかに顔を上げていらっしゃいませと言うのはもう半分、無意識である。 既に営業時間は過ぎ、夏であればそろそろ薄ら明るくなっているだろう空はまだ重く闇で、凍るような冷気が暖かくなり過ぎた室内をほどよく冷ます。 「悪いな、終わりがけに」 落ち着いた重低音の声に、水道をキュッと閉め手を拭きながら 「何にしましょう?」 と問えば 「ボンベイサファイア、ロック」 と、毎度毎度代わり映えのしない返事が返ってくる。手際よく作り黙って置けば、黙って一口飲み煙草に手を伸ばす。 週に一度起こるこの時間の流れは気がつけば半年ほど続いていて、何時のころからかこの空間が待ち遠しくなっていた。 「最近、どうだ?」 いつもと違うどこか言おうか言うまいか悩んでいるような声に、真意がわからないままに当たり障りなく 「今日は少し騒がしくさせてもらいました」 と言えば、ふっと息を小さく吐き呟くように口にのせる。 「いや、……ビルの話しは聞いてないか?」 「ビル? いえ、何も」 「……ここのビルのオーナーが夜逃げしたことは?」 「……いえ、全く。 もしかしてこのビル無くなるんですか? うわぁ、困ったな」 さほど困った風でない声色になったことは自覚しているが、さすがに困る。移転するとなれば色々と物入りだし、何より移転先に今のような古めかしい雰囲気を醸し出す場所が見つかるかもわからない。 ウンウン唸りだした俺の前に、一枚の名刺がすっと差し出され、何気に見ていた俺はポカンと口を開けて名刺と男を交互にみた。 篠山興業、代表取締役篠山威弦。この界隈を一手に納めるやくざであることは有名だ。最も、顔と名前が一致したのは今であるが。 「移転先があるならいいのだが……」 何を言いたいのかわからず黙って前を促せば、少しばかり躊躇うようにして酒に口をつける。 「俺はこの店が気に入っている」 そしてまた口を閉ざし、今度は煙草を口にする。 「……ビルを買い取ってもいいと思っている」 陳腐な三文芝居を見ているような台詞に、俺は顔の筋肉が自分の言うことを聞かなくなっているのを感じた。ここにも店を気に入ってくれる人がいたのだと。店の先を心配してくれているだけなのに、極上の告白をしてもらったような気分に酔っているのだと。そして自分の言葉に照れたように酒を煽るこの男が可愛く見えているのだと。 「篠山さん」 俯き加減だった男が顔を上げる。思いがけず眼光鋭い男の目と合ったが、反らすこともせず見つめたまま、 「もしよければ、……お世話になります」 と言えば、それだけで間違いなく通じ 「わかった」 と返ってきた。いつもの時間の流れが戻ってくる。静寂と、揺ったりとした空気。いつもと何も変わらない。 男とはこれから長く深い付き合いになるだろうという確信以外は。
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