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「可愛かずみ」 元々は芸能界にあまり興味はなく、美容師になるつもりだったが、高校在学中にスカウトを受け、モデルクラブに登録する。 登録後、すぐににっかつの宣伝用ポスターのモデルの話が舞い込むが、それが結局ヌードであった。 可愛が「話が違う」と言うと、話を持ってきた担当者の手違いだったらしく、その担当者が怒られているのを見ていて同情してしまう。自分が我慢すれば丸く収まると思い、仕事を引き受ける。 この時に渡辺護監督の目に止まり、1982年、にっかつロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』で芸能界入りする。 1983年9月もう脱ぐ仕事をしたくないと宣言をし、同理由から同年11月に所属事務所をオフィス・アンからマーカスに変わっている。 1995年、当時ヤクルトスワローズに在籍していた川崎憲次郎との交際が発覚する。川崎は学生時代から可愛の熱烈なファンで、6歳の年の差はあったが交際は順調であった。当時、川崎はマスコミに対しても交際宣言をしている。だが、周囲の反対と川崎の故障で治療に専念したいという理由から破局。 1996年、川崎との破局後に芸能人との間に一度交際の噂が出ている。その相手の芸能人の言動が自殺原因という説もあるが、この頃から急激に体調が悪化、周囲に「死にたい」と漏らすようになる。 1997年5月9日、女優としてこれからという時、自らの可能性を絶つことになる。この日、午前中に手首を切り自殺を図っており、この時のためらい傷は3箇所にも及んでいたという。また、この時「また手首を切ってしまった」という内容の電話を婚約者にしている。 リストカットによる自殺未遂は1996年12月、1997年1月に続いて3回目ではあったが、夜には食事を全部食べており、周りも落ち着いたように見えて安心していたという。 午後6時30分頃、留守番の女性に「咳がでるから病院に行く」と言って出かけ、午後7時10分頃、川崎の住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降り、帰らぬ人となる。 自殺の動機は諸説あるが遺書はなく正確なところは不明。生真面目な性格が裏目にでたと言われている。 亡くなった翌日(5月10日)、可愛は都内の自動車販売会社を経営する実業家と婚約し、2ヵ月後に結婚する予定であったことが発覚する。 当初は可愛の誕生日である7月9日に入籍するつもりだったが、その日が偶然にも仏滅だった為、七夕である7月7日に籍を入れる予定であった。棺には挙式で着用するはずだった白いウェディングドレスがかけられた。 1997年5月9日死去(享年32)
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