返信する

 僕は君を見ない
© 桔梗鈴 
作者のサイト 
 R指定:---
 キーワード:中学生 プラトニック
 あらすじ:卒業式の淡い一幕
▼一番下へ飛ぶ


 思えば二人とも早熟だった。
 中学校三年間を通して、僕と砂川は一度しか長い会話をしなかった。接点はといえば三年のときにクラスが一緒になったというだけで、つるむグループも違えば授業で同じ班になる機会も乏しい。砂川はクラスの中でも二番目か三番目ぐらいに行動力があって、いつも一番目立ちたがる奴の後ろに立って全体を見守ってるようなタイプの奴だった。背は高かったし少しはお洒落だったと思う。そのあるかないかほんの少しの差が同じ学年の中で早熟と晩熟とを分けていた。
 ブレザーをかっちりと着込むにはやや暖かい春の日に僕たちは卒業式を迎えた。僕は四月から県内の私立高校への進学が決まっていて、式典が行われる体育館の中には別れの物寂しさともうすぐ始まる新生活への希望が混在していた。思うほど悲劇的な気分はなかったが、卒業生だけが起立して合唱した時には一部の女子も男子も泣いていた。
 僕はそのときまで砂川を見ない。中学三年間の時間を一日分の時計に例えるなら、僕と砂川の会話は二十三時五十九分五十九秒、おそらく残り一秒しか残っていないような、そんな時間にやっと行われた。

「桐嶋。制服の第一ボタンとか、渡す相手いるか?」

 クラスでの最後の礼まで終わって、卒業証書が入った革筒を片手に多くのクラスメートたちが写真撮影だのアルバムへの寄せ書きだのをしあっている時間帯だった。学校は終わったがある意味とても忙しい時間帯で、それなりに友人もいた僕はこの時間を大切にしようとまだ教室に残っていた。
「いないけど、どうして?」
 聞き返しながら、僕は緊張していた。中学生の僕にもそれが恋愛にまつわる大昔からの風習だということがわかっていたからだ。第一ボタンというのは制服のジャケットがブレザーだからで、要はより僕の心臓に近いボタンが必要だということだった。
 初めて話す砂川の声はそれまで遠巻きに聴いてきたものと同じだったが、微妙に声変わりし始めていることがその時の僕にはひどく気にかかった。心のゆらぎを悟られぬように僕の外見はつんと澄ましてしゃべっているように見えたことだろう。
 砂川は僕が初めて正面から顔を見ると言葉を濁し、廊下に顔を逸らして少し怒ったような声を出した。
「他のクラスの女子に、取ってこいって頼まれたんだよ。別にコクろうとかそういうノリじゃなくて、思い出に欲しいらしいから」
「僕に? 誰が?」
「それは言えない。ぜってー秘密」
 砂川に仲のよい女子なんかいただろうかと僕は頭の中でアルバムをめくった。そもそも砂川についてあまり多くを知らない。同じクラスで、この一年間何度かその細いアーモンド形の目と目が合った。中学生なのにたまにヘアワックスを試しているのがキザだなあと一度思ったことがある。それだけの。
 僕は基本的に砂川を見ないでここまで来ている。
「思い出とか、そんな軽いノリで欲しいとか言ってる奴にやりたくないんだけど」
「それは……」
 砂川は詰まった。僕の前で泣き出しそうな顔になった、気がした。しばらく僕が見ていると彼はやっと押し出すように言った。
「ぜんぜん、軽くはない。と思う」
 本気で言っているのかごまかす気で言っているのか、見分ける眼力ぐらいはあるつもりだ。僕は砂川の態度に重いものを見るとそれ以上聞き返すのをやめた。もしかしたら砂川は誰か好きな奴でもいるのだろうか。
「わかった」
 顔を上げた砂川の前で、僕は鞄をあけるとペンケースを取り出し中に入っていたカッターでボタンの糸を切った。ぶつりと音を立てて金メッキの紋章入りボタンが外れ、僕のブレザーは損なわれた。もう家に帰ってもこの制服を着る用途はない。手のひらに収まった小さな分身を砂川の手のひらにくれてやる。
「はい」
 砂川は戸惑いながら口ごもり、改めて「サンキュ」と漏らした。砂川自身のブレザーはまだ損なわれていない。彼の大人びた印象は同じ中学の女子たちにもモテていたのに、現実はそんなものなのかなと僕は思った。
「砂川は、ボタンくれとかまだ言われてないの?」
「え?」
「僕より砂川のほうが絶対に言われてると思ってた」
 実は苗字を呼び捨てにするのも初めてで少し緊張していた。僕と砂川との関係は今日でもう切れるのに。僕が笑うと砂川はうつむいてすぐにボヤきを切り返した。
「んなモテてねーし」
「そうかな。どっちにしても、いい人すぎるよ砂川は」
「悪かったな」
 砂川の声は少し震えていた。教室の中にいた友人たちが僕のところに声をかけてきて、その場にいた砂川も混ぜてみんなで写真を撮った。窓の外では砂川がよくつるんでいた目立ちたがり屋が中庭で女子に愛の告白をしていた。校舎中に響く大声で、振られるためにやる。でもあれで後のフォローが良ければ案外春休み中にはうまくいくかもしれない。
「桐嶋は、好きな女子とかいるのか?」
 僕は砂川の目を見ない。窓の下では告白された女子が周囲の女子に後押しされてごめんなさいと頭を下げている。
「いない。女子ってどう扱ったらいいのか分からないし。でも、そのボタンの子がコクってくれたらすごい嬉しい」
 僕の横で砂川は黙っていた。校門にある大きな桜の樹から花びらが次々に零れ落ちている。陽光の下でほの光る甘い桃色があまりに今日の日に合いすぎていて、僕は胸がいっぱいになる。
「なあ砂川、あそこからみんな飛び立っていくんだよ」
 僕はすっかり熱にうかされていて、校門を指差しながら中高生しか吐けないような浮わついた台詞を口にした。
「うん」
 砂川がそれに合わせる。まともに話すのはこれが初めてだったのに、砂川は僕が窓を離れるまでずっと僕のそばにいた。僕が機の満ちたように窓から離れ友人たちと思い出を作るのに没頭していると、砂川の姿はいつしか教室の中からいなくなっていた。


 僕はそのときまで砂川を見ない。
 午前中に終わった卒業式のあと、午後になって人がまばらになるまで僕は校内にいた。友人やクラスメートや先生や部活の後輩たちに一つ一つ別れを告げていきながら、頭にひっかかっていた砂川の姿を無意識のうちに探していた。砂川にボタンを取ってくるよう頼んだのは誰だったのだろう。間接的にではあるが、初めて僕に告白してくれたひとが誰なのか僕は知りたいと思った。
 いくつもの別れが済んで外の日差しが眠くなるような光度に変わったころ、僕はようやく砂川の姿をもう一度見つけることができた。砂川はあの桜の樹の下に立ち、ポケットに手を突っ込んでぼんやり校門の外を見ていた。
 下駄箱から見えた背中に桜の花びらが音もなく乗って、何枚も積もっていった。側を女子が通りかかっては集団で写真ばかり撮って通り過ぎていく。僕は下駄箱に隠れて砂川に声をかける人間が現れるのを待った。ブレザーを着た砂川の姿はやはり背が高くて、遠目にも温度を感じさせた。
 僕は、何か予感していたのかもしれない。僕は砂川を見なかったが、自分が彼から何度も視線を受けていたことを知っていた。正体のわからない淡い視線を僕は無視した。意識してかせずか、僕と砂川は互いにずっと距離をとり続けていた。だから僕と砂川は今日までまともに話をしたことがなかった。
 砂川はポケットから僕のボタンを取り出し、手の中でもてあそびながらじっと見つめている。少し風が吹くと舞い落ちる桜の花びらが増えて彼の動きがたびたび見づらくなった。

 砂川は僕のボタンにそっと唇をよせたように見えた。

 暖かい風がやんで砂川の姿がきちんと見えるようになったときには砂川はもうボタンから唇を離していて、僕はことの真意を確かめ損ねた。認めたくない胸の締め付けがあって、僕は吸い寄せられるように砂川の背中を見つめる。彼は思い出で済ませようとしていた。自分のできる範囲で精一杯自分の想いを大切にして、そのまま僕の前からいなくなろうとしていた。
 僕は勇気を出して下駄箱を降り、砂川のもとに駆け寄っていく。砂川は僕が桜の花びらの下に入ってくるまで僕の姿に気づかなかった。僕に気づくと息を呑んだ。その顔が真っ赤になって、すごく怖がっている。砂川もまだ恋を知ったばかりなんだ。春風と空を舞う桜の花びらがかしましい。僕は怒るつもりはなくて、でも砂川の背が高いのと陽が眩しいせいで顔を上げ目を細めている。
 僕は息をとめ、初めて砂川のすべてを見つめる。


【End.】







2007/06/05
▲ 始めに戻る

作者のサイト
編集

 B A C K 



[掲示板ナビ]
☆無料で作成☆
[HP|ブログ|掲示板]
[簡単着せ替えHP]