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 ピザ屋は多分変身する
© 北条カメ彦 
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 R指定:無し
 キーワード:不可解、サスペンス、モヤッと、下品、ファンタジー、ゲテモノ料理
 あらすじ:※恋愛主体ではありません。
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「死ぬのは怖くないんだ」

カウンター席で守屋がくだを巻き始めた。
最後に櫛を通したのはいつかと尋ねたくなるボサボサの茶髪と、皺だらけの若草色のシャツがトレードマーク。守屋は厄介な常連の一人だった。

彼がLサイズピザと焼酎を頼むのは、愚痴を吐き出したくて仕方がないという合図でもある。
本職探偵は軽食屋の主人に内心を推理されているとも知らずにロックグラスを揺らし喉を濡らす。
長くなるだろうか、守屋の隣に座る冴えない風体の青年が腕時計を確かめた。午後10時。

「いいか、死んだ奴は死んじまった事を後悔したりしない」
「そうですねぇ。死人に頭無し」

青年の相槌が雑なのはカウンターテーブルの下でこっそり携帯メールを作成しているからだろう。いつもの風景だ。
簡潔なSOSを送るべき相手に送る。彼は刑事としては優秀な若者であるが、酒を酌み交わす相手としては今ひとつだった。

「聴衆の前で演説を打つとしよう。失敗したらどうしようと考える」
「考えますねぇ」
「それは失敗すれば笑われると知っているからだ。笑われれば顔が赤くなる」
「ま、なるでしょうね」
「死を演説の失敗に置き換えてみる。誰が笑おうと笑い声は聞こえない」
「死んでますからね」

酔っ払いは論理破綻など気にしない。
守屋は自分が常識ある善人だと思い込んでいるタイプだ。だから反論を挟まずに頷いている青年は正しい。
ことなかれ主義者は罪深いが、乱闘の片付けをしなければならなくなる店主にとっては貴重な人材だ。

「本当に恐れるべきは痛みだ」
「痛みですか」
「銃口を突きつけられて考えるのは死への恐怖じゃなく、痛みの予感に対する恐れだ」

守屋は右目が光を失ったのを機に王国騎士団を退き、下町に『怪盗調査専門』という看板を掲げる探偵社を開いた変わり種である。
元騎士はニイと笑った。三十は過ぎている筈だが、笑顔だけは無邪気な少年のそれだ。

「僕は痛いのが嫌いだ。そしてそれは機能する大脳を持つ生物が共通して抱く感情であるわけだな」

「僕も嫌いです、痛いの」

珍しく的確とも取れる合いの手を入れた青年がピザに手を伸ばす。チーズが伸び垂れた。

「だというのにだ」
「だというのに」
「君の上司ときたら!」

漸く本題だよ、青年は肩を竦めてチラリとカウンターの中に目配せする。
私は店先に看板を出すことにした。10時15分。
もうじき彼も到着する頃だ。

「痛いどころの騒ぎじゃない。あれは何を考えているんだ」
「はぁ……」
「最近の刑事というのはセックスの作法も知らないのか?」

とんでもない言いがかりだ。青年が思わずむせる。

「突っ込めばいいと思っている。単調な作業ばかりしているから頭が足りなくなるんだ」
「足りないですか」
「足りない。おまけにデカい」

助けを求める目で青年が私を見る。こうなった守屋は喋らせておくに限る、ふいと視線を逸らしてグラスを拭く事にした。

「僕の苦労がわかるか? あの馬鹿体力は驚嘆に値するがなんの役にも立たない。あいつが種馬で僕が雌馬なら今頃馬刺がブームになっている」

「馬刺はなんか可哀相で食えないんですよねぇ」

「そのピザに散らされているソーセージがペニスを刻んだものだと考えてみればいい。きっとゴキブリだって食べられるようになる」

青年は泣きそうな顔でピザを口から出した。
普段は礼節を弁えたインテリ然とした守屋だが、酒が深くなると下品な話しかしなくなる。厄介な客たる由縁だ。

「守屋さんはゴキブリを食べた事があるんですか」
「あるよ。西方の内乱鎮圧の時、食糧が尽きて近くにある物は全部手当たり次第に口に入れた」
「どんな味が……?」

怖いもの見たさ、青年は今にも気絶しそうな青い顔でそれでも半身を乗り出す。
死ぬのは怖くないと豪語した男がかの害虫を口に運んだのは何を恐れたからなのか。守屋という人間は嘘と芝居を愛する男だった。

「ゴキブリの味がした」
「だからどんな」
「食べてみればいい。百聞は一見にしかずだ。司波さん、若者に新たな世界を開いてやってくれないか」

余計な飛び火だ。
私は苦笑する。衛生管理庁の認可を受けていない闇料理屋に、害虫駆除を義務付ける書面は届かない。探偵と刑事の足元で抜け毛の酷い老犬が眠っていた。

「残念ながらゴキブリはいませんよ。地下にいるのはゴブリンです」

「ああ、彼。まだ頑張っていたのか」

守屋が声を潜めた。潜める必要もない。
探偵と刑事とモグリのコック。
全員が共犯者なのだから。

「拷問は苦手で」
「だろうな。司波さんは優し過ぎるんだ」
「優しい男が犯罪に手を染めますか」
「正義のためなら」

守屋は自分が正しいと信じて疑わない。
けれどそれは真っ当な考え方だ。悪を自覚しながらそれでも突き進めるのは選ばれた悪人だけだ。自己を正当化する事なしに生きれる者がいるとするなら、鎖で巻かれて地下に閉じ込められる羽目になる。10時30分。遅い。

「で、荒谷はいつ来るって?」

探偵が鋭く目を細める。うだつの上がらない外見の青年は観念した顔つきで携帯をカウンターに出した。

「バレてました?」
「毎度の事だからな。僕がグダると救援を要請する。君は降りかかる面倒事を他人に押し付けたがる傾向がある」
「急用なら直接呼べばいいのに」

「嫌だ。あんなデリカシーの欠けた種馬に電話をするくらいなら君に跨った方がマシだ」
「跨るなら司波さんにしておいて下さい」

青年が深々とお辞儀をした。つくづく彼は他人任せだ。たまには守屋も推理をするらしい。

「それで。何かイレギュラーでもあったのですか?」

「大ありだよ、司波さん。マズい事になってる」

その顔は緊張感を孕みながらも、どことなく笑っていた。
スリルを感じなければ生きられない人間がこの国には溢れている。

だからこそ、怪盗が無能な警官の罠をすり抜け宝を盗み、画面映えするレトロな探偵が悔しげに膝をつく頭上を颯爽と飛び去るなどという陳腐がテレビで引っ張りだこになるのだ。
実に虚しい現実だ。
その背後にある真相を知らず、観衆は怪盗の優雅な立ち振る舞いに見惚れる。

カラン、ドアベルが鳴った。

「種馬が来た。揃ったな」

守屋は一枚の地図を広げた。端に血の染みが見て取れる。
イレギュラー、その言葉が示す不穏は全員の胸に染み広がった。

「さあ、作戦会議を始めようか」







2010/12/04
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