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 雪
© 葦原 
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 ―――珍しく、雪が降った。
 雪は止む気配を見せず、積雪は10pを越えたのだと、通話相手の青年が口にした。
 もう夕刻になると云うのに降り続き、男が窓から見上げた雪は少し灰色掛かっていた。

「ねぇ、緋鷹さん。どうして降って来る雪は、灰色なの?」
 積もる雪は白いのに…と言葉を続かせて、心底不思議そうに青年は尋ねて来る。

 彼は、好奇心が強い。
 男が知らないと答えれば、一人でとことん調べるだろう。
 けれど教えたとしても、彼は結局、自分で納得がゆくまで調べるのだ。

「空が光源になっているからだろう、」
 空を仰ぎながら答えると、少しの間沈黙が流れる。
 恐らく、受話器の向こう側で青年は難しい顔をしているだろうと、男は考える。
 口元が緩みそうなのを堪え、男は言葉を続かせた。
「つまりだな…雪を下から仰ぎ見ると、光のあたっていない方の面だけが見えているから、灰色に見えるんだろう、」
 正当な答えかどうかは、分からない。
 だが青年は、納得したように「そっか」と短く答えた。

「…ヒバリ、そんな事を訊く為だけに、掛けて来たのか?」
 仕事中に青年が電話を掛けて来る事など今まで無かった為、最初は何か有ったのかと、少しばかり焦った。
 雲雀の事となると、普段の冷静な自分は簡単に掻き消えてしまう。

「それだけって訳じゃ、無いけど。……緋鷹さん、帰って来たら、少しでいいから外に連れて行ってくれない?」
「別に構わないが、戻るのは夜になるぞ。」
 遠慮がちな物言いを訝りながら返すと、雲雀はそれでも良いと口にする。
 窓の外から視線を逸らし、デスク上のパソコンに向き直った緋鷹は、画面を眺めながら眉を寄せた。
「雪は昼間見た方が綺麗でいいだろう、」
「うん。でも…夜じゃないと、駄目だから。」
「……何か問題でも有るのか?」
 何が駄目なのか理解出来ずに問うも、受話器の向こう側からは沈黙が返る。
 云い難いことなのかと思案するが、緋鷹は時間ばかりが過ぎる状況に苛立つ気配も見せない。
 雲雀が答えるのをじっくり待つつもりで、懐から取り出した煙草に火を点けた。
 1時間後には人と会う約束が有るのにも関わらず、緋鷹は雲雀の方を何よりも優先してしまう。
 自分でも甘過ぎるとは思うが、焼きが回ったと諦めるより他は無い。

「…緋鷹さんは何でも知っているけれど、多分、これは知らないと思うから、」
 雲雀が勿体ぶるような物言いになるのは大抵、恥ずかしいからだ。
 しかし何に対して恥じらっているのか理解出来ず、緋鷹は耳を澄まして言葉を待ち、煙草を燻らせた。

「枝に、雪が少し積もったのを遠くから見ると、まるで桜が咲いているみたいなんだ。」
 嬉しそうに語る雲雀の声を耳にして、緋鷹は相槌を打つ。
 時間に追われ、景色などじっくりと見る事の無い緋鷹にとっては、知らない事実だ。
 本当にそう見えるのかと思案していたが、雲雀が言葉を続かせない事を訝る。

「ヒバリ、どうした」
 今度はあまりにも沈黙が長すぎた為、少し心配げな声が零れた。
 こんな風に、心から相手を気遣うような声が出せるのは雲雀にだけだ。
 普段の自分と今の自分は、あまりにもギャップが有るだろうと苦笑した矢先に、雲雀はようやく言葉を放った。
「昨日、緋鷹さんが、夜桜が好きだって云ってたから…、」
 恥ずかしそうに答える雲雀の言葉に、緋鷹は口元を緩める。
 出来る事なら本人を目の前にして聞いてみたかったが、そうなると照れ性な雲雀は決して云わないだろう。
 だからわざわざ電話まで掛けて来たのかと考え、雲雀の愛らしさに込み上げそうな笑いを何とか抑えた。
 ―――だが。

「緋鷹さんに、…喜んで貰いたくて、」
 雲雀の言葉を耳にして、腹の底に熱が溜まる。
 目の前に居たら、煽られた情欲のままに雲雀を押し倒していただろうと、緋鷹は軽く眼を伏せた。
「ヒバリ…おまえにそんな可愛い事を云われたら、今直ぐにでも帰りたくなる。」
「え…緋鷹さん、仕事は…、」
「もう終わった。」
 短く答え、電話を切る事を告げて通話を終わらせ、緋鷹は灰皿に煙草を押し付けた。
 椅子の背凭れへ掛けた背広を持つと、部屋の扉が控え目にノックされる。
 失礼しますと声が上がり、扉が開かれ、少々強面の角刈りの男が入って来る。

「会長、お車の用意が出来ました。…雪が降っていると云うのに、古山の組長サン、何を考えてらっしゃるんですかね。」
 苦々しげな表情を見せた男に緋鷹は鼻で笑い、男の横を通って部屋を出た。
 部屋の外には数人の組員が待機しており、みな一様に膝に手を当てて腰を下げ、室内に響く程の声量で挨拶を交わして来る。
 そのなかを足早に通り抜けた緋鷹を、角刈りの男や組員が追おうとするが
 緋鷹は組員の見送りを手で制し、角刈りの男だけが後を追った。
 事務所の横に停められた高級車の前には屈強そうな男が立っており、緋鷹が近付くと頭を下げ、後部座席のドアを開ける。
 運転席には角刈りの男が、助手席には屈強そうな男がほぼ同時に乗り込んで、車を発進させた。

「今日は自宅に戻る。譲れない用事が出来た。」
 口出しすら許さないかのような、威厳の有る低い声音が掛かると
 助手席側の男は威勢のいい返事を放ち、懐から携帯電話を取り出した。

「では古山の組長サンに、そのように伝えておきます。」
「いや…俺が掛ける。古山は俺には頭が上がらないからな。お前らが相手だと、アイツは不満ばかり云うだろう。あんなくだらない奴に、お前らが頭を下げる必要は無い。」
 思い遣り溢れる緋鷹の発言に、助手席の男は感極まったように頭を下げ、礼を口にした。
 角刈りの男は、携帯電話を緋鷹に差し出している男を横目で見ると、ミラー越しに緋鷹へ視線を向けた。
「会長、今日はえらくご機嫌ですね。雲雀さん、何か云って来たんですか?」
 雲雀からの電話を繋いだ為、緋鷹が上機嫌な理由を察した男は、滑らかに車を走らせながら問う。
 助手席の男も興味深げに、緋鷹をミラー越しに見遣った。
 しかし緋鷹は二人を一瞥しただけで答えず、鼻で軽く笑うと携帯を操作し、電話を掛け始めてしまう。

 繋がった先で、受話器の向こう側からは古山の媚びた声が響く。
 それを聞き流しながら、緋鷹は雲雀のことを想う。
 自宅に戻ったら先ずは存分に雲雀を可愛がってやろうと考え―――緋鷹は愉快げに口元を緩ませた。


終。







2012/08/20
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