キラキラ&#ez0420;SMグッズ
お洒落に&#ez0266;エロティック&#ez0266;

返信する
/38
[*前][次#][戻る]
カキコミ数371件
[1] ミリタリーなスレ
By 侍マーケット 2008/10/10/10

ここは軍事関連のスレです。
ルール
その@
主に軍事関連の話題が中心になると思いますが、その他も可。
そのA
画像は、どんなものでも貼っても貼らなくてもよし。但し、著作権その他の権利を侵害するものや、グロ・モロは禁止
そのB
(こんな事皆知ってるんだろうな…)と思う様な事でも、物怖じせずに書き込んでやってください
そのC
このルールは状況と必要に応じて適宜変更・修正することがあります。


まあ、要は軍事関連の話題を中心にした感じの雑談スレです(笑)。
まったりいきましょ

ちなみにここに書き込むとアハトアハト(88)が発射されたりします
(`・ω・´)

[編集] [返信]
[2] By 黒竜G/FF7754F1 2008/10/10/10

>>1
「アパーム!弾薬持って来ーい!アパーム!」なG姐さんです。
アハトアハトが…撃ち込まれる大変だ…じゃあオレはドーラでパリ本土を砲撃…!火薬の量を増やせば大丈夫!
…何をする止めろは〜な〜せ〜〜!←黒服の二人組に連れて行かれる。

[編集] [返信]
[3] By 侍マーケット 2008/10/10/29

さてさて、すっかり放置していたこのスレも再開したいと思います。ようやくに阪神の歴史的敗戦の傷も癒えましたので…

これまでは、WW2について書いてきましたが、WW2の事をよく知るためにはWW1の事にも触れた方がよいと思うので、今回はWW1について書きます。WW2はWW1の続きと言ってもよいでしょう。

第一次世界大戦勃発の原因は、中学あたりの歴史の教科書では、「オーストリアの皇太子がバルカン半島で暗殺されたため」と書かれていますが、全く要領を得ない記述だと思った方も多いのではないでしょうか。自分も教師に質問したけど、全くもってあやふやな答えしか返ってこなかった事を覚えています。今日は、このあたりについて書きますよ〜
゚+。(*′∇`)。+゚

[編集] [返信]
[4] By 侍マーケット 2008/10/10/29

さてさて、すっかり放置していたこのスレも再開したいと思います。ようやくに阪神の歴史的敗戦の傷も癒えましたので…

これまでは、WW2について書いてきましたが、WW2の事をよく知るためにはWW1の事にも触れた方がよいと思うので、今回はWW1について書きます。WW2はWW1の続きと言ってもよいでしょう。

第一次世界大戦勃発の原因は、中学あたりの歴史の教科書では、「オーストリアの皇太子がバルカン半島で暗殺されたため」と書かれていますが、全く要領を得ない記述だと思った方も多いのではないでしょうか。自分も教師に質問したけど、全くもってあやふやな答えしか返ってこなかった事を覚えています。今日は、このあたりについて書きますよ〜
゚+。(*′∇`)。+゚
画像
[編集] [返信]
[5] By 侍マーケット 2008/10/10/29

>>4
アイヤー!二重投稿アル!

…さて、WW1開戦前は、ヨーロッパ列強による帝国主義の時代でした。ただ、ヨーロッパ列強諸国は、海外の植民地獲得のために限定的な戦争を海外で行うことがあっても、ヨーロッパで戦争することは望んでいませんでした。
それなのになぜ、WW1が勃発したかと言うと…
たしかに皇太子暗殺は引き金ではありました。ただ、だから第一次世界大戦が勃発したというのはあまりにも説明不足です。
皇太子が暗殺された後、オーストリア帝国は報復のため、軍隊をその地域へ派遣しようとします。そのためには、二、三個師団で十分と思われたのですが、その頃の軍は(各国ともそうですが)軍隊全部を総動員する計画を持っており、官僚化し硬直化した軍部はその計画に固執し、結果、軍全体を動かすことになりました。これが大きな鍵となったことは間違いないでしょう。
ここで、続きを書く前に、他国のことに触れなければなりません。

画像
[編集] [返信]
[6] By 侍マーケット 2008/10/10/29

>>5
WW1前は、ヨーロッパ列強はどの国も(おそらく、イギリスを除く)有事の際は軍隊を総動員する計画を持っていました。有名なのがドイツの「シュリーフェンプラン」です。
嗚呼、携帯の電池がきれそうぢゃ
続きは充電してからにしますm(_ _)m

[編集] [返信]
[7] By 侍マーケット 2008/10/10/29

>>6
さて、晩酌しながら続きを書きます
当時のヨーロッパ情勢は、ドイツ・オーストリアが同盟を組み、それに対峙する形でイギリス・フランス・ロシアが同盟を組んでいました。つまり、ドイツとオーストリアは挟まれるかたちになっており、戦線を東西に抱える点で不利でした。
これを打破するためにドイツでシュリーフェンにより考案されたのが、「シュリーフェンプラン」です。
これは、ロシアはその広大な領土から兵力を輸送するのに時間がかかるであろう点を踏まえ、まずはフランスを打破し、その上でロシアと戦うというものでした。フランスを破る方法としては、フランスが攻めて来るであろう独仏国境に兵力を薄く配備し防御を徹底させ、右翼に兵力を集中しベルギーを通って進軍させ、フランス軍を半包囲して殲滅するというものでした。
攻勢が好きなドイツ人らしい作戦で、たまりません
西部戦線は当初このプランに沿って行われましたが、実際はモルトケによって若干の手直しをされていました。これについてはまた今度書きます。

ただ、このプランは純粋に軍事的な計画でありました…。

画像
[編集] [返信]
[8] By 侍マーケット 2008/10/10/30

>>7
軍事的であったというのはすなわち、まずは局外中立を宣言していたベルギーを進軍すること。政治的な考慮は一切されていません。
さらに重要なのは、ロシア軍の配備が遅れることを前提としている点です。今も昔も、宣戦同時攻撃が開戦劈頭に戦果をあげる一番の方法です。つまり、シュリーフェンプランは仏露両国に準備をされては成り立たず、もしも準備されてしまえばフランスを先に破るために西部戦線に兵力を集中するドイツはロシアからの攻勢を防ぐことは難しくなってしまうのです。したがって、このシュリーフェンプランは敵が備える前に攻撃する奇襲でなければならないのです。
これも、第一次世界大戦勃発の大きな鍵となります。


続きはまた次回、もうだめだ、おやすみなさい…

[編集] [返信]
[9] By 侍マーケット 2008/10/10/30

>>8
さてさて、早速続きを書きます。
シュリーフェンプランについては触れましたが、これを念頭に置いてオーストリアについて書きます。
実はそれ以前に、オーストリアはロシアと、黒海から地中海に抜けるロシアの自由航行権で対立していました。オーストリアは、バルカン半島で領土拡大をするかわりに、ロシアがコンスタンティノープルにおけるロシアの自由通航権をオスマントルコ帝国に認めさせることを承諾する密約を結んでいました。
しかし、オーストリアは領土は獲得したものの、ロシアの自由通航権については頑強に反対し、日露戦争の敗戦から回復していないロシアはこれをあきらめざるを得ませんでした。これがロシアのオーストリアに対する対立心の種のひとつとなります。
つまり、オーストリアのサラエボへの動員に対し、ロシアも軍事介入すべし、となったのであります…。


[編集] [返信]
[10] By 侍マーケット 2008/10/10/30

>>9
さて、ロシアの軍事介入ですが、オーストリアと同じく、ロシアも軍隊の全面動員の計画を持っており、部分的な動員による軍事介入をしたのでは、その途中に計画された全面動員をした場合に致命的な遅れが生じるとして、数個師団による軍事介入については最後まで反対でした(結局全面動員となります)。
なぜ各国が軍隊全部の動員にこだわったのかというと、ドイツのシュリーフェンプランが仏露に漏れており、このシュリーフェンプランを破るために、即ちドイツにフランス・ロシアを各個撃破させる機会を与えないために、迅速に東西からドイツを挟撃するためでした。軍を動員し、フランスを倒してしかる後にロシアと戦う、というシュリーフェンプランに対して、仏露両国とも軍を総動員して応じる、という軍事計画を持っていたのです(記憶があやふやですが、フランスの軍事計画はプラン17だったかな?ロシアのは完全に忘れました)。
ちなみに、シュリーフェンプランが他国に漏れていることをドイツは把握しており、モルトケによって手直しされ、フランスがシュリーフェンプランを打破するためにとる作戦(これもドイツは知っていた。この作戦は、薄く配備されたドイツ軍左翼および中央に兵力を集中して包囲される前に打ち破るというもの)に対応して、左翼と中央には原案よりも厚く兵力が配置されました。ただ、このために包囲行動する右翼からは兵力が引き抜かれ、原案よりも小さな包囲網になってしまいます。のちには、これはモルトケの最大の失敗ともいわれたようですが…。

[編集] [返信]
[*前][次#]
返信する

[戻る]


6598


[掲示板ナビ]
☆無料で作成☆
[HP|ブログ|掲示板]
[簡単着せ替えHP]