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[1] 長崎・雲仙普賢岳 大火砕流惨事の真相
By otu
05-28 08:52
長崎・雲仙普賢岳 大火砕流惨事の真相

1991年6月3日、長崎・雲仙普賢岳 大火砕流惨事があった。

これは自然災害ではなく「人災」であり、それも「マスコミの傲慢」がもたらした「マスコミ災害」だ。
しかし、マスコミの記事には「己がもたらした災害」に対する微塵の反省も見ること無い。
恐らくは今後も同じ時期になると、「火砕流から○○年」と、無反省な記事を書き連ねることだろう。

だが実は、マスコミの無法な「定点」(立ち入り禁止点)越えの行動を警戒して、事故に巻き込まれた多くの消防団員や警察官の死は、彼らの傲慢な行動が無ければ、起こる筈のない無念の事故死だった。 

マスコミ関係者などが死んだ『定点』は、避難勧告がでていた。
危険地域であるため、公的機関の観測員、消防団員も勧告地域から撤退していた。
しかし、マスコミ関係者は、その勧告に強制力がないことから、雇い挙げたタクシーとともに避難勧告地域内の『定点』に居残っていた。

さらには、彼らマスコミが、避難して無人の住民の家に無断で上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が起こった。
住民に不安が高まり、その為もあって、避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。
これらのマスコミ関係者、タクシー運転手、消防団員、許可を得て中に入っていた地元住民が、火砕流に巻き込まれ死んだのだ。
消防団員12名、タクシー運転手4名、警察官2名、外国人3名、一般人3名、計25名(行方不明者が別に3名)。
そして、マスコミ関係者16名。
避難勧告地域の境界で検問をやっていた警察官2名は、火砕流発生の連絡を聞き、中の人たちに知らせるために勧告地域内に入り、殉職した。

そして、重要ののは、火砕流の到達範囲は、まさに避難勧告地域内におさまっていた、と言う事だ。
避難勧告をマスコミが守ってさえいれば、死者数ははるかに少なくて済んだに違いない。

だがしかし、当のマスコミというと、亡くなったマスコミ関係者(カメラマンだったかな?)の最期を美談にして特別報道番組まで作る始末。
他にも、朝日新聞/テレビ朝日が呼び掛けて集めた「ドラえもん基金」のほとんどが、被災地や遺族に届いてない事態も発覚してる。(それらは「経費」で消えたらしい)

手柄狙いで勝手に居座ったマスコミのために、行かなくてもよい団員が行かされて焼け死んだ。
消防団員っていうのは素人だ。プロの消防士じゃなく、普段は農業をする若者であり、ほぼボランティアの民間人なのだ。命令でそこに派遣されたのだ。

だが、”鬼畜な”(あえて書く)マスコミは、その後、この事件を取り上げるたびに、「多くのマスコミ関係者などが犠牲となった」という枕詞で語るのだ。
そして、死んだマスコミ関係者の話を”美談”として報道する。

あの現場には、新婚の団員、子供が生まれたばかりの団員、もうすぐ結婚するはずだった団員、親の介護をしてた団員がいた。
しかし、マスコミはそのような事は一切報道しない。

その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張する報道関係者が、許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあた。

もう一度繰り返す。
これは自然災害ではなく「人災」であり、それも「マスコミの傲慢」がもたらした「マスコミ災害」だ。
pc
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