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3.岩田宏詩集


いやな唄


あさ八時
ゆうべの夢が
電車のドアにすべりこみ
ぼくらに歌ういやな唄
「ねむたいか おい ねむたいか
眠りたいのか たくないか」
ああいやだ おおいやだ
眠りたくても眠れない
眠れなくても眠りたい
 無理なむすめ むだな麦
 こすい心と凍えた恋
 四角なしきたり 海のウニ

ひるやすみ
むかしの恋が
借金取のきもの着て
ぼくらに歌ういやな唄
「忘れたか おい 忘れたか
忘れたいのか たくないか」
ああいやだ おおいやだ
忘れたくても忘れない
忘れなくても忘れたい
 無理なむすめ むだな麦
 こすい心と凍えた恋
 四角なしきたり 海のウニ

ばん六時
あしたの風が
くらいやさしい手をのばし
ぼくらに歌ういやな唄
「夢みたか おい 夢みたか
夢みたいのか たくないか」
ああいやだ おおいやだ
夢みたくても夢みない
夢みなくても夢みたい
 無理なむすめ むだな麦
 こすい心と凍えた恋
 四角なしきたり 海のウニ
 海のウニ!

 この詩では、「いやな唄」は疑問の問いかけの形をしています。「ねむたいか」「眠りたいのか たくないか」。それに対して岩田は率直な答えを返しません。「眠りたくても眠れない/眠れなくても眠りたい」のように、問いかけから上手に身をかわしながら、眠りたい欲求と眠れない現実の分裂を語っています。岩田は、自分自身が眠いとか眠りたいとかそういうストレートな答えを返しません。「いやな唄」の問いかけに対して、答えを留保するのです。
 さらに、この留保の態度は、自分や人間の備えている分裂に対しても向けられています。岩田は、眠りたいという欲求と眠れないという現実、そのどちらかを選択するわけではありません。つまり、眠くて仕方ないのだが眠れなくて腹が立つ、として欲求の方に軍配を上げたり、眠いけれど眠れないのは仕方がない、として現実の方に軍配を挙げたりはしません。岩田は、自分や人間の分裂についての態度も留保します。そして、自分が分裂しているというそのことについても、それを承認したり拒否したりという態度を取らず、態度を留保しています。
 さて、このような留保の姿勢は詩にとって本質的です。

張りつめた対峙の中でサディストは苛立つ。かれは対象を分析的にではなく、一挙に把握したいのだが、そうしようと焦れば焦るほどかれの対象は霧に包まれ始める。それは存在の不明瞭さから湧きあがってくる霧であるのかもしれない。(「サディストの苦悶」より)

 ここにおいて、「サディスト」とは詩を書く者のことです。詩を書くものは対象を一挙に把握しようとするため、逆に対象をあいまいにしかとらえられない。対象は隅々までよく見えて理解できるものではなく、不透明で、それについての判断を下しがたいものとして現れます。詩というものはそのようなサディズムによって書かれるために、対象を分析できず、対象の荒々しい存在の現場において対象の不透明さの前で屈服するのです。
 だから、詩は必然的に様々な態度を留保しなければならない。例えば結論付けること。評論や論文は結論付けることに意味があります。そのことによって、対象に理解の筋道を与え、対象を透明にします。また、例えば結末をつけること。小説や戯曲はたいてい明確な結末があります。それは物語の終了であり、そこまでに語られてきたことについて一応の決着を与えるものです。ところが、詩には結論も結末もない。理解の筋道が明確に与えられることもなければ、語られた内容について決着も付けられない。岩田の詩には、そのような詩の本質が如実に表れていると言えます。
 ところが、岩田も、ある一点においては留保しませんでした。

もともと詩人とは憑かれるべき存在だった。神が、自然が、霊感が、信念が、時には社会科学が、詩人というボイラーにとり憑くと、ボイラー内部の温度はどんどん上って、じきに圧縮された熱いことばが吐き出された。いわば詩人は一箇の道具であり、超越的なものの通過する道に過ぎなかったわけである。だが、現代の詩人たちは、このような巫女的な存在から、字義通りの創造者へ変貌する道程を、徐々にではあるが確実に歩んでいる。ことばによる被創造物を自由にコントロールするためには、憑かれる者であった詩人が、憑く者、積極的に対象へ乗り移るものにならなければいけない。(「演劇性について」より)

 岩田が留保しなかったのは、詩を書くということ、歌うということです。詩を書くべきか書くべきでないか、歌うべきか歌うべきでないか、そのような迷いは岩田には感じられません。そのような迷いにおいて受動的に歌ってしまうのではなく、自ら積極的に、神・自然・霊感・信念・社会科学に乗り移っていき、迷うことなく歌うのです。
 ところで、歌うという一点においてのみ留保せず、しかし歌うことをめぐる様々な問題について留保せざるを得ないというのは仕方のないことでしょう。サディストとして積極的に迷うことなく情熱的に歌う場合、余りにも対象を一挙にとらえようとするが故、対象は一層不透明になってしまうのです。岩田にとって詩人はサディストでしたが、サディストであるがゆえに、逆にいろんなことについて留保せざるを得なかったのです。


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動物の受難


あおぞらのふかいところに
きらきらひかるヒコーキ一機
するとサイレンがウウウウウウ
人はあわててけものをころす
けものにころされないうちに
なさけぶかく用心ぶかく

ちょうど十八年前のはなし

熊がおやつをたべて死ぬ
おやつのなかには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

 さよなら よごれた水と藁束
 たべて 甘えて とじこめられて
 それがわたしのくらしだった

ライオンが朝ごはんで死ぬ
朝ごはんには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

 さよなら よごれた水と藁束
 たべて 甘えて とじこめられて
 それがわたしのくらしだった

象はなんにもたべなかった
三十日 四十日
はらぺこで死ぬ

 さよなら よごれた水と藁束……

虎は晩めしをたべて死ぬ
晩めしにも硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ

 さよなら よごれた水と……

ニシキヘビはお夜食で死ぬ
お夜食には硝酸ストリキニーネ
まんぷくして死ぬ

 さよなら よごれた……

ちょうど十八年前のはなし

なさけぶかく用心ぶかく
けものにころされないうちに
人はあわててけものをころす
するとサイレンがウウウウウウ
きらきらひかるヒコーキ一機
あおぞらのふかいところに。

 言語というものは反復可能なものです。本来、物事というものは、一回限り、唯一のものであり、例えば昨日の私と今日の私は別物であるはずです。それでも、そのような違ったものさえも同じ「私」という言葉で反復してしまう。これは、それぞれの時点での私の差異を度外視した一種の暴力であります。本来なら、唯一でかけがえがなく、それぞれ異なっているはずのものを、同じ言葉で同一化してしまうのですから。言語は、ものごとの唯一性・かけがえのなさを破壊するのです。
 ですが、本当にそう言い切れるでしょうか。

 辞書によれば、「既視感」とは「実際は一度も経験したことがないのに、ある体験を以前にしたことがあるという感じがするような錯覚」である。(中略)さきに引いた辞書の説明を敷衍すれば、わたしたちのあらゆる体験は厳密にいえば一回きりのものである。にもかかわらず、日常的手順のなかでは体験は何度でも繰り返されるもののように見える。つまり、新しいのに新しくない体験をつねに強いられている状態、それがわたしたちの日常である、とでも言えるだろうか。(中略)既視感の定義を裏返すなら、新しくないと感じられる体験は、つねに新しいのである。(「誉むべき錯覚」より)

 ここで岩田は、経験もまた反復可能であることを述べています。つまり、本来は違っているはずの経験を同じ経験だと認識してしまう、人間にはそのような錯覚があるのだ、と。それが既視感です。ですが、岩田はそこで発想を逆転させます。既視感とは、かけがえのない個別の体験を同一のものとしてしまう暴力なのではなく、むしろ、同じものを新しくとらえなおすことなのだ、と考えるのです。過去の経験と現在の経験が同じように思われるけれども、実際は違う、現在の経験は新しいのだ、そのことに改めて気付かせてくれるのが既視感なわけです。
 さて、岩田の詩に戻りましょうか。この詩にはリフレインが多用されています。「さよなら よごれた水と藁束」以下や、動物の死、ヒコーキの襲来と獣を殺すこと。リフレインは同じものを繰り返すことですが、まったく同じ言葉が繰り返されていても、それは実は違ったものを指していると言えましょう。それはまさに既視感と同じ理由によるもので、言語という反復可能なものは、実は同じ言葉を反復しながらも違うものを指示しているからです。そして、岩田は、リフレインにおいて言葉を微妙に変えていきます。「さよなら よごれた水と藁束/たべて 甘えて とじこめられて/それがわたしのくらしだった」これが、「さよなら よごれた水と藁束……」になり、さらに「さよなら よごれた水と……」になり、さらに「さよなら よごれた……」となります。これは明らかに同じ詩行の繰り返しなのですが、その繰り返しのごとに差異が組み込まれていっているのが分かるでしょう。言葉を少し変えていくことによって、同じ物事を違った角度からとらえなおしていく。つまり、同じで新しくないものを、リフレインすることにより、新しいものへと変えていくのです。岩田は一見同じものを退屈に繰り返しているかのようですが、実はそこでは、同じものをつねに新しい角度からとらえなおそうという彼の詩的態度がうかがえるのです。


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